バカ長い回想
秋風が吹くと、大学時代を思い出す。長い長い夏休みが終わって、久々に授業が始まる秋。半年間にわたる、卒論との戦いが始まった季節。今日の文章は明らかに長すぎ、文体も不親切で、読者の皆さんにとっては全て読むのは苦痛であろう。でも自分のために書いておきたい。大学時代の4年間のことを。
竹やぶの大学時代 農学部に入った。農業に関して、バリバリ勉強しようと思っていた。1年の頃は、卓球部と合唱団をかけもちし、車の免許も取り、農作業のバイトもし、教職免許を取るための講義も受け、講義の成績はオールAだった。 2年生になり、楽なコースに所属した。無理をすることはないと、卓球部をやめた。授業は週休2日に加え、5日のうち2日が半日休みだった。空いた時間で、前期はバイトと合唱に精を出した。後期はバイトもあまりせず、合唱団の人々と毎日不毛な会議を繰り返した。当時は一生懸命やっていた。しかし、学生の本分である学問から、だんだん自分が離れていくことに対して後ろめたい気持ちがあった。アパートの窓から、川を挟んで大学が見えた。深夜まで明かりがついている。みんな勉強しているのに、僕はこれでいいんだろうか。 3年生になった。無理をすることはないと、教職免許をあきらめた。中心になって合唱団を運営した。合唱のでき自体は例年に比べていいほうではなかったが、個人的にはアカペラバンド(ながはまーず)、ミュージカル、社会人の合唱団などにも参加し、大忙しであった。学問をせねばならないとか、後年大成するために人間を磨かねばならないとか、そういうことはあまり考えなくなった。目先の物事に一生懸命になっていたら、そんな考えは頭をよぎらない。あらゆる義務感や罪悪感が、だんだんと麻痺し、消失していった時期でもある。 4年生になった。役を降り、合唱団にはあまり行かなくなった。卒論をしなければなあと思いつつ、前期は手付かずだった。講義も少なかった。バイトもしなかった。ながはまーずの練習と、パソコンのゲームと、気の会う友人との語り合いと、漫画喫茶と、夏目漱石と、アンドレアボチェッリと、道後温泉と、恋人との甘い時間で毎日が埋まった。ときどき研究室に行って周りの状況を確かめたけど、みんな同じようだった。 夏休みになった。そろそろ卒論をやらないとやばくなった。テーマは決まった。しかし何をやっていいのかわからない。教授からは、「何をやってもいい、しかし前代未聞の論文であること」という条件が課せられた。僕は大学の書庫の前に立ちすくみ、「これだけの人があらゆることについて調べつくしているというのに、いまさら僕に何を言えというのだ」と途方にくれた。不器用な僕には、既存の研究から適当に引用して論文っぽく纏め上げるようなこともできなかった。 後期が始まった。大学の二学期は10月から始まる。黄色く暖かい日差しの下では、もう秋風が吹いている。空は高く青く、構内ではプラタナスの黄色い葉がじきに落ち始める。授業はほとんどない。卒論と、ながはまーずと、ミュージカルと、合唱団と、友達と恋人で日は埋まった。秋が深まるにつれて全ての活動が忙しくなっていった。僕はフル稼働していた。 それまでの半年間、専門書や過去の研究などをはぐっては悩むことをくりかえしていたが埒が明かなかった。だからとりあえず、外にでてみる決心をした。教授の知り合いのつてで農協にいき、そこで人伝いに自分の研究対象の現場の人を紹介してもらった。いろんな施設を、手当たり次第に訪れた。片道で電車なら2・3時間、レンタカーなら2時間かかるところまで、アポを取っては何度も往復した。今思えば、かなりのお金をつぎ込んでいた。最終的に13箇所の施設に絞り込み、調査することにした。さすがに現場だけあって、「これは使える」という小ネタは少しずつ落ちていた。しかし決定的なものが足りなかった。 調査をしているうちに、中間管理職からの聞き取りからでは限界があることに気づいた。分析すべきデータもなかった。月並みだがアンケートをして独自のデータを得ないと、独自の論は展開できないと思った。そこで年内に、渾身の力をこめてアンケートを作り、配布し、返事を待った。年末は合唱団、ながはまーず、ミュージカルが同時に佳境にさしかかる時期でもあった。 数々の音楽ステージをこなし、わずかに実家で正月を過ごし、松山にもどった。アンケートの返事が来た。が、180部配ったうち40部弱しかこなかった。データとしては明らかに少ない。またしても途方にくれた。ちょうどその頃、ひろも苦戦していて、お互いに不安をかこちあった。ひろの論文にも少し協力した。 もう一度、アンケートをやることにした。今度はこたえやすいよう、ごく簡単な質問をA4一枚の裏表にまとめた。農協の人に協力してもらって、効率的に配布した。枚数も450部に増やした。卒論の提出期限は一ヶ月後に迫っていた。2週間で返事が集まり、1週間で集計・分析し、ラスト1週間で論文を書き上げるという怒涛の計画を立てた。アンケートが帰ってくるまでの間、それまでに調べていたことを論文にし始めた。1章から3章まで完成した。後はアンケート結果から、4章とまとめを書けばよい。 アンケートが返ってきた。384部、返ってきた。データ数としては十分である。まずは喜んだ。しかし勝負はそれからである。その結果から、なにか前代未聞の答えを見出さねばならない。僕は夜を徹して、たどたどしいエクセル裁きで、数百通りのクロス集計を行った。3日に一度、3時間ほど眠った。 集計の中から、前代未聞の答えを見つけた!!言葉にしたら月並みだが、データを背景に述べたのは僕が初めてであろう答えを。次はそれを論文の4・5章にはめ込んで、文体や図表やレイアウトを整えれば完成である。肉体はかつてない不健康状態だったが、省みる暇はない。最後の1週間もそのままのペースで走りぬいて、提出時刻の1分前に、ついに、ついに提出した。 エピローグがある。結局その論文は、「いろいろ盛りだくさんでおもしろい出来じゃないか」と教授に認められ、大学の紀要論文として取り上げてもらえることとなった。学士論文としては名誉なことである。まあそれも一筋縄ではなく、それから1ヶ月間、再び研究室にこもって論文を1から組みなおしたのだが。 その後ながはまーずで多くのファンに惜しまれながら(?)解散ライブをやり、ミュージカルの最終公演をやり、合唱団を卒団し、大学を無事卒業して、山のように資料の積みあがった研究室と、4年間汚しつくしたアパートを掃除して、その後1週間は何もせず余韻に浸り、そして松山を立ち、実家に帰り、農業を継いだのである。 目先のことに懸命になっていられることが幸せであると気づいた。嫌なことを無理してやる必要もないと思った。この苦しく、美しく、幸せな大学時代を、いずれ書き記したいと思っていた。再び違った切り口で書くかもしれない。最後まで読んでくれた人がいたら、「非公開」でもいいので、コメントに「読んだ」とだけ書いてくれたらうれしい。誰もいないかもしれないね。それでもいいよ。
by takeyabubass
| 2005-09-15 01:29
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