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クライマー

同じことを何度も書くということは、いつも同じことを考えていると言うことだ。

僕は、農業にしろ家庭教師にしろ、我流であるということに少なからず葛藤を抱いている。そりゃたまには本を読んだり講習を受けたりもするが、「1人の師匠から体系的な技術を習い、それを忠実に守る」ということをしていない。それは一つの弱さであると思う。強さでもあるのだが。

まわりの青年農家は、30台くらいまではたいてい父親が経営権を持っており、程度の差こそあれ、それに従っている。その間に基礎的な技術をこつこつと蓄えるのである。そうして経営権を継いだころには、あらゆる作業がある程度熟達している。そこで余裕を持って、「経営」に専念できると言うわけだ。

接木を習得したければ、ひたすら接木をすればいい。親父が元気に農業をしていれば、息子はそうすることができる。しかし、僕は一人である。接木ばかりはしておれぬ。基礎技術が未発達のまま、経営も同時に行わねばならぬ。これは大変なことだと、近頃実感している。

それでもやらねばならぬ。いや、やりたい。僕は祖父から、「技術」というべきものをあまり教わっていない。祖父は我流でやってきた。お前も我流でやれ、というスタンスである。まあヘタに他人の我流を押し付けられたり、古い技術を強制されたりするよりはよほどいい。ただ一年の基本的な作業の流れと、主なる機械の使い方は一緒にやる中で学んだ。確定申告だけは、詳しく教わった。もし僕が、試行錯誤の末農家としていっぱしの収入を得られるようになったとしたら、これは画期的な出来事である。「二年間、農業専従者として働けば、傾斜地農業でも自立できる」ということが証明される。

我流の壁は、常に感じている。技術のなさを、実感している。しかしだからこそやりがいがある。「壁があるから通れない」とは思わない。壁があったら、よじ登るまでである。取っ掛かりがなければ、脚立を持ってくればいい。それでも届かなければ、より長い脚立を探してくればいい。やり方は、いくらでもあると思う。
最近は何をやるにも、「半分の労力で、同じ成果を得られないだろうか」と思案しながらやる。なんとかしてやろうと思えば、できそうな気がするのだ。画期的な大革命でもいいし、小さな改良を積み重ねた結果でもいい。

「決まった仕事を、同じやり方で、一生懸命やる」というのも、価値あることかもしれない。だが見方を変えれば、「頭脳的に怠惰」ともいえる。同じことを繰り返すのは、楽なのだ。楽なことを美化してしまえば、成長はそこで止まる。
何とかして、我流でも一人前の農家兼家庭教師になりたいものである。
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# by takeyabubass | 2006-04-29 22:58 | 思想

新しい友人

嫌だということを、何度も頼みにくる人がいる。これはかなわない。こっちだって相手が頼ってきたら、できるだけ好意的な返事をしたいと思っている。でもいろいろ考えた末、やっぱり責任が持てないと思ったり、どうしても気が進まなかったりして、断らざるを得ないときもある。
そういうときに、「そうですか、ではまたよろしくお願いします」と簡単に引き下がってくれるほど助かることはない。「今回は済まないことをした、次に頼まれたら少し無理をしてでも引き受けよう」という気にもなる。

だけどそこで引き下がらずに、なんとかして自分の意に沿わせようとしてくるとやりきれない。こちらが考えた末だした結論を頭から無視しているということは、僕の存在を認めていないということだ。不毛だが、降りかかる火の粉は払わねばならぬ。僕は自分の存在をかけて、自分が拒否する旨を説明し、相手があきらめるまで闘わねばならぬ。相手が躍起になればなるほど、こちらの不快感は増していく。その場はもちろん引き受けないし、その後何かあっても、できるだけこの人には近づきたくないと思ってしまう。


話は変わるが、根拠もなく、「当然こうすべきだろう」という自分だけの考えを、こちらに強要してくるのも困る。理屈っぽいようだが、「なぜそうすべきなのか」をはっきりさせて、やった場合と、やらない場合のメリットとデメリットを比べた上でないと、その判断は下せない。
いつもやるから、皆がやるからというのは、本来は理由にならない。不必要なものを生み出して儲けたい連中は、「皆がやるから」という心理を利用して、さまざまな出費や出役を私たちに迫る。

クリスマスプレゼントも、バレンタインチョコも、月給3か月分の結婚指輪も、商社が儲けるための喧伝から始まった風習である。ナントカ祭りや、ナントカ大会などという行事も、結局は一杯飲んで騒ぎたい連中が考え出したものである。もちろん、社会において遊び心は大事だが、それは強要されるべきものではない。

僕は、「仕事を楽しむ」ことをモットーとしている。仕事といえども、やりたくないことはやらない。というかできない。だから収入は少ない。余暇もあまりない。ことさらに「遊び」の時間を強要されたら、僕の生活は圧迫される。精神的にも苦痛だ。


そんな思いにもんもんとする折、最近1人の素敵な人と出会った。
名を、宮沢賢治という。
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# by takeyabubass | 2006-04-27 11:06 | 他人

我以外皆我が師

ある本で、「武道の世界では、3年間、我流で必死にやるよりも、3年かけてよい師匠を探したほうが、結局は大成する」と書いてあった。

その通りだと思う。

だが、一人の師匠の言うことだけを聞いて、その小さな世界の中だけで生きていては、いくら強くても、人間的な色彩は乏しい。本当に素晴らしい人は、自分自身もプロフェッショナルでありながら、世界にも刺激を与え、また世界から刺激を受け、仲間と協力し合って何かを成し遂げる。

師匠は、身近にも、世界のいたるところにもいて、自分に学ぶ気があれば、誰からでも、何かを授かることができる。血眼になって理想の師匠を一人見つけるのもアリだが、まあそんな師匠は引っ張りダコだろうし、法外な報酬を払わねばならん場合もある。貧乏人には難しい。「周囲にある材料で、素晴らしいものを作る」というのが僕のスタンスである。

そんな僕が重要だと思うことは、あらゆるものを師匠にする「師匠化力」と、より短期間で師匠の技をマスターする「吸収力」である。

そこで必要になるのが、矛盾するようだが、「我流で実行できる力」である。
師匠の技を、全て模倣するのは不可能だ。例えば「接木」にしても、「台木と穂木の形成層をくっつける」というポイントは簡単に教われるが、「穂木の切り方は、腹面が5度、背面が60度」というところまで言語化して覚え、その通り実践するのは面倒だし、ナイフを使うときの筋肉一つ一つの動きを全てそっくりマスターするのはさらに不可能だ。

「形成層をくっつける」「接木部分に、雨水が入らないようにする」というポイントだけを教わり、それさえマスターすれば、あとは我流でかまわないと思う。というかむしろ、我流の気概がなければ、師匠が示した「ポイント」と「ポイント」を実践で結ぶことはできない。多くの人は、そんなに暇ではない。何においても、付きっ切りで教えてくれる人などいない。ならば、一目見て、覚えてしまえばいいのだ。ポイントさえ押さえれば、やりかたは我流でも、それなりの結果が出る。道は一つではないのだ。

「模倣力」といっても、いいかもしれない。
それを鍛えておけば、あらゆるものを師匠化できる。
あらゆる人との出会いが有益なものとなる。
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# by takeyabubass | 2006-04-23 12:54 | 思想

晩生

人は、人の中に根をはる。
つまり人と会うことは、とても重要だということ。
しかも、複数の、いろんな属性の人と。

ごく限られた人としかつきあってなければ、その人にいやな態度をとられると、生活全体が憂鬱におおわれる。だけど、たくさんの友人がいたら、そんなことは気にならなくなる。

他人との付き合いで嫌な思いをしたときの効果的な解決策は、全く別の友人と会って関係のない話をすることだ。すると、以前の悶々は何もかも忘れてしまう。まるでガスが抜けるようにしぼんで、ちっぽけになる。コミュニケーションの不思議。

僕は今まで、一人の世界を歩き続けていた。
しかし最近、友達とはいいものだと思いはじめた。ごく少数の深い親友の他にも、わけ分からんノリの仲間や、音楽仲間や、卓球仲間や、変な動き仲間や、しみじみ人生仲間や、農業志士仲間や、自転車操業仲間など、みんなすばらしい。

ヤバいとき、逃げ込める場所。苦しくても、楽しめる場所。それが友達。
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# by takeyabubass | 2006-04-21 23:38 | 他人

太くたくましく

家庭教師は、受験前の攻防が高度成長期であった。今は安定期なので、しばらくは淡々と続けていてよさそうだ。2人とも、滑り出しは順調である。

さて、本題は農業である。まずわが家代々の農業を立て直し、その余勢を駆って地域を立て直すのが、我が使命である。地域を立て直すことは、国を立て直すことにつながる。いや、今日は小難しい話はやめよう。

いま僕は、何をすべきか。今日、それに気づいた。
昨日半日かけて、カラスに袋をはがされたバレンシアの中で、無事なものを包みなおした。はじめは、カラスは忌々しくて仕方なかった。でも樹齢80年の大木に抱かれて、うすぐらい曇り空のなか仕事をしていると、そんな気も失せてきた。カラスは、カラスなりにただ生きようとしている。だから、そんな彼らに向かって怒っても仕方ないのだ。怒るというのは、「そんなことをするなんて、許せない。そんなことは、しないでほしい。」という、相手に対する甘えである。だが自分より厳しい世界に生きているやつらに甘えたって、仕方ないのだ。
その感情は、作業を粗雑にするし、木から落ちる危険性も増大させる。僕は甘えず、淡々と彼らと対峙していくのが正しい。僕は厳しい自然の中にいて、生存競争をしているのだ。黙って闘うがいい。

今年は災害が多い。3月にかけて、近年にない大寒波が畑を襲い続けた。みかん類は大ダメージである。梅の花が咲いたころ、寒さや大雨が続いた。花はすぐに散ってしまった。南高梅の受粉は、ミツバチによる交配が不可欠だ。しかし彼らは、高温・晴天の日にしか活動しない。よって彼らの活動も、期待通りにはいかなかった。今年の梅は、不作である。
さらに、三月の末に雹が降った。大きなもので直径3,4センチはあった。それがものすごい密度で、数分間ふりつづけた。梅の実は傷つき、あるいは落とされた。今年の梅は、惨憺たる結果になりそうである。
そしてカラスの群れが、ただでさえ不作のバレンシアをつつきまくる。さらにこのところ大雨が続いている。このままではバレンシアが大きくなりすぎて、裂けてしまう。

わざと、嫌なことばかりを書いた。だが今年は、特に深刻である。厄年だからか。
しかし、僕は手を止めてはならぬ。努力の全ては報酬にはならないが、やらなければ0である。お金も、経験もたまらない。

今日はみかんの苗を、20本植えた。「一緒にがんばろうな」と、一本一本、丹精込めて植えた。夏の世話を欠かさなければ、こいつらは1年でぐっと大きくなる。がんばろうと思う。
明日は梅の消毒をする。数少ないが、残った梅は大事にしなくてはならない。
そして、夜は楽しい家庭教師だ。

何事も、はじめからうまくいくわけはない。あの木々たちのように黙々と、太くたくましく生きていこうと思う。
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# by takeyabubass | 2006-04-16 19:29



架空の人物「竹やぶ」のブログです。書いてある出来事はフィクションです。論や思想も、架空の前提をもとに展開されているため「筆者の意見」という訳ではありません。
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