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酔っぱらいの竹やぶ

ぼくたちは

努力という名の自転車にのって

成長という名の下り坂を

加速しながら

転がりつづける

もはや自分でも

止めることはできない

一瞬でも気を抜いたら

バランスは崩れ、肢体はぶっ飛び、自転車は崩壊し、地面にたたきつけられるだろう
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by takeyabubass | 2006-04-07 23:30

やったぜ!!!

青年部の演説会で、最優秀賞をいただいた。

11名の代表が5分くらいずつ演説をし、最優秀者のみ夏の県大会に出場できる。さらに近畿、全国と続く。優勝賞金を3万円もいただいたが、そのうちの半分を、僕の所属する支部に還元してしまった。貧乏なのに、見栄っ張りな竹やぶ。それでも、一万五千円は嬉しい臨時収入である。

内容は、主にこのブログにちりばめられている。今回の勝利も、ひとえにここの読者の皆さんのおかげである。県大会までにさらに磨きをかけ、近畿大会を目指したい。応援よろしくお願いします。
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by takeyabubass | 2006-04-06 23:34 | 仕事

エキサイティングスライディングホールディングス

よりよく生きようと、苦悩してるヤツ最高!
「自分には存在価値がない」と、自己嫌悪してるヤツ最高!
大事なことから背を向けているけど、何とかしなきゃと内心あせってるヤツ最高!

全てを悟って、満足して、開き直って、泰然としてるやつは、端にも棒にも引っかからぬ、単なる背景。鑑賞価値なし。

そんな気分の、今日の竹やぶ。

家庭教師の時給は、2000円が相場である。
生徒の家庭に特別な事情のない限り、この金額を請求できるだけの自信を持ちたい。これだけ払わせてなお、「習ってよかった」と思われる家庭教師になりたい。やはり、腕を上げるしかない。

うまいみかんを、作りたい。ああだけど。作業が追っつかない。当面は、基礎作業を的確にこなせるようにならねば。

「大谷」と「大玉」でマシン油をやる
肥料を、あと68袋やる
苗が入荷されしだい、あと35本植える
貯蔵甘夏を、3トン出荷する
清見を、あと200キロほど採って出荷する
「大谷」で剪定する

とりあえず、これだけの作業が詰まっている。はっきりいって、ピンチである。
ああ。ちんたらしてたら駄目だ。朝はもう少し、早く出勤しよう。
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by takeyabubass | 2006-04-05 18:58 | 仕事

地元ドリーム

新しい生徒の、家庭教師が始まった。

素直で、かしこい。初めてのタイプだ。
これまでの生徒はみな、勉強への意欲を起こさせることが大きな課題であった。しかし、今回はそこがすでにできている。拍子抜けするとともに、大いなるプレッシャーを感じた。

しかし、チャンス到来でもある。彼にトップクラスの成績を維持させれば、
「あの子、竹やぶさんって人が家庭教師をしてるんですって。」
「まあ。近所にそんな方がいたの?私の子も見てくれないかしら。」
という風に、地元での知名度は急上昇だ。

今はがんばって営業して、「勉強させてください!!」って感じでやらせてもらっているが、需要のほうが大きくなれば、営業しなくていい上、時給アップも図れる。

僕の夢は、地元の学校と連帯して子供の学力を底上げすることだ。しかもボランティアではなく、仕事として。

学校の先生 「あー、お子さん、このままでは大変なことになりますよ、もっとがんばらないと。」

母親 「とはいいましても、学校の授業も分からないし、塾でもついていけないし、どうすればいいんでしょう?」

学校の先生 「・・・・(また竹やぶさんに頼むしかないか。)・・・実はね、奥さん。1人、優秀な家庭教師がいましてね。いや、引き受けてくれるかどうかは分からんのですが、一度相談なさってはいかがですか?」

先生、電話番号を記した紙切れを母親に渡す。

母親 「そうですか、ありがとうございます。一度相談してみます。」

―その夜

母親 「もしもし、家庭教師をやっておられる竹やぶさんでしょうか」

竹やぶ 「いかにも私が竹やぶだが・・・」

       ―中略―

母親 「お金に糸目はつけません、ぜひうちの子を見てやってくださいまし・・・」

竹やぶ 「喜んで見させていただきますよ。もちろん正規の料金でね。」


・・・・・・・・バカなことを書いてないで、早く寝よう。
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by takeyabubass | 2006-04-04 23:47 | 仕事

他愛のないことども

最近、気づかぬうちに、肉体が隆々としてきた。重いコンテナや肥料を運んだり、木に登ったりするからだろう。日々の積み重ねとはすごいものだ。一昨年はひ弱で、すぐに疲れたのに。


久々に、親友と電話をした。やはり彼はヒーローである。彼は僕に、こういった。「自分の死は受け入れているよ。だけど竹やぶが死んだときの俺の気持ちは、想像できないね。」
それを聞いて、ふと思った。彼が先に死んだら、彼を主人公に小説を書いてやろう。仕事の時間も削って、毎日最低2時間、原稿用紙に向かおう。パソコンで打つよりも、原稿用紙のほうが彼は嬉しがるだろう。雨の日は、やはらかき光の漏れる障子の部屋で、日がな一日机に向かっていよう。初の長編小説になるかもしれない。


梅の消毒をしようとしたが薬が切れていた。農協で、「アグリマイシン」を買い求めた。500gひとふくろで3千円以上。高いなあ。
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by takeyabubass | 2006-04-03 18:31

ふと思う

「世間とはなれて」修行をするのは、世間との関係を壊さないためか?
「世間」と闘ってしまったら、戻るべき家がなくなってしまう。本当の独りぼっちになってしまう。

それを避けるために、あえて人里を離れるのだろうか。
だとすれば、釈迦もまた人とのつながりを重んじていたといえる。
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by takeyabubass | 2006-04-02 09:31

竹やぶの生き方

大雨である。
畑にはいけないが、倉庫には選別すべき清見が積みあがっている。
以前は一日かかっていた仕事が、選果機を導入したおかげで、半日もかからなくなった。
今日はちんたら、選別だけをすればよい。


僕は、釈迦やキリストを大した人間だとは思っていない。いまや世界を席巻している仏教やキリスト教も、元はといえば「こう考えたほうが、楽とちゃうんか」という凡人の何気ない気づきである。はじめはちっぽけだった思想が脈々と受け継がれ、後の人がまた新たな気づきを付け加えたりするうちに、壮大な思想体系になった。
また、為政者が世を治めたり、強欲者が富を搾取したりするのに利用したため、巨大な建物やみごとな仏像とセットになり、実際以上の権力がまとわりついて、社会的にも得体の知れぬ強大な化け物のようになった。それが宗教である。

釈迦やキリスト個人と、宗教を混同してはならない。

「凡人の何気ない気づき」なら、僕もしている。そして、このブログにもその端々を書きとめている。哲学は、自分を超えることはできないと思っている。僕が生き、感じ、思いついたことも、人に伝えようとすれば単なる言葉になってしまう。
言葉の定義は人によって違う。その人の使う言葉は、その人の経験から作り出されたものだからだ。例えばある男が、経験上、豚をとてつもなくかわいいと思っているとして、ある女の子に、「君は豚みたいだね」と褒めたとしても、その女の子が経験上、豚を醜いと思っていたら、「醜い」と言われたと思って怒るだろう。

言葉とは、各人が自分の経験に基づいて概念を詰め込んだ箱である。箱の中身は本人にしか知れぬ。だから厳密に言えば、言葉によるコミュニケーションは不可能である。話がそれてきた。そんな分かりきったことは、どうだっていいのだ。つまりは今日も、独り言を書くということである。

宗教の話をしていた。
今の宗教は、大勢の人の気づきがどんどん付け加えられたり、為政者の都合のいい解釈が入ったりして、訳の分からぬものになっている。「仏教とは、つまるところこういう思想である」と明快に言い表せる人はいないのではないか。そういうものを、無理やりまとめる必要はない。そういうものに、振り回されなくってもいいのだ。都合よく解釈して、使えそうなパーツは頂いて、僕は僕の思想を、根っこから造ればいい。


僕は人の話や書物から、仏教の本義とは、「世俗を離れて修行をせよ」ということだと勝手に解釈している。「修行をせよ」については、僕も同感である。修行は楽しい。できないことが、できるようになる。耐えられなかったことが、耐えられるようになる。それは「自分」が存在する以上、疑いなく存在する一つの喜びである。その喜びを知れば、理論的にはどんな状況だろうと楽しくいられることになる。しかし「世俗を離れて」というのは、少し抵抗がある。「世俗」を離れることは面倒なことだ。まあそれも修行の一環と考えればそれですむが、欲を言えば修行の内容も自分で選びたい。

キリスト教の本義とは、「人とのつながりに喜びを見出せ」ではないかと思う。人と結ばれたければ、まずこちらから愛さねばならぬ。だから「隣人を愛せ」というのだろう。「神を信じよ」とは、それを可能にするための自己暗示である。「苦しくても、いつか必ず救われる」と信じ込むことで、自分がどんな苦境に居ようと、隣人を愛し続けることができる。
「いつか必ずいいことあるから、いやなことがあっても我慢して、まわりの人と円満に暮らしなさいよ。」これがキリスト教である。「神」の正体は、他愛もない、「いいこと」である。これが後の権力者に利用され、神とは何か仰々しい、恐るべきもののように仕立て上げられたのではないか。

仏教は個人主義、キリスト教は他者とのコミュニケーションを重んじる思想である。あれ?でもアメリカは個人主義で、東アジアは共生的である。社会のあり方に対するストレスから、逆の思想が支持されるのかな?これも自然界を支配する「あまのじゃくの法則」の一つだろうか。
(イスラム教は、知る機会がなかった。ここの読者でコーランを愛聴している芋さんなら、その真髄を語れるやもしれぬ。)

僕は宗教には縁遠かったので、それらを意識することなく育ったが、仏教文化圏にいるのでその影響が強いと思う。あるいは気候・風土や、生物としての性質もあるだろう。

僕の教義は、「修行をせよ」である。何も世間と自分を切り離すことはない。そんな面倒なことはせず、世間の中で修行すればよい。人間も自然の一様相に過ぎぬ。人とのかかわりが煩わしいからと山にこもったところで、今度は雨漏りやイノシシと闘わねばならぬ。
修行は楽しい。子供のころに親しんだ数々のRPG、鳥山明の「ドラゴンボール」、吉川英治の「宮本武蔵」、漱石先生の「野分」などの影響も、あるかもしれない。哲学に、高尚・低俗はない。自分にしっくりくる思想が自分の道で、それが記されている書物が自分の聖書であろう。

これらの書物に反応して自分が形成されたということは、先天的な自分の本性もそれに適していたのだろう。強くなって、闘って、勝ちたいということ。ごろりと横になって、誰にも指図されず、ものぐさたろうのように生きていたいということ。相反するが、これが僕の根源的な欲求である。

キリストの提唱する「愛の喜び」は、実を言うといまいち実感がわかない。まあ、全くないわけではないし、強さだけを追い続けたべジータが、最終的には仲間や家族との絆に喜びを見出すように、いずれそれを知る日が来るかも知れぬ。だから否定はしない。
が、今はある程度、周囲にウソをついているのも事実である。多少の愛を、義務的に演じてはおる。近しい人や、敏感な人にはすぐ悟られるが。

はじめは嫌なことでも、やっているうちに楽しくなってくる場合もある。「修行」がそうだった。「愛」もきっと、そうなんだろう。今は、ようやく見つけた修行の楽しさを追っていたい時期である。修行に飽きたころ、愛を追求し始めるかも知れぬ。僕がキリスト的に生きるのは、もう少し先であろう。

それまでは、「愛の欠如」ゆえに様々な苦難が降りかかるだろう。だがそれらを修行としてとらえ、工夫と研鑽を積んで克服していくつもりである。今あるものをとことん楽しんでから、次のものに手を出すのが僕のやり方である。
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by takeyabubass | 2006-04-02 09:02 | 思想



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