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大本営発表(長すぎ)

教え子Bが、第一志望校に合格しました。バンザイ!

というわけで、今日の午後は自分に対するご褒美休みです。まあ雨だし。選別・出荷も午前で片付いたし。休む言い訳はいくらでも作れる。「怠惰正当化力」には自信がある。大学4年間に磨き上げた、数少ない能力の一つである。

いいねえ、改めて自信ついたよ、家庭教師。10月上旬に頼まれたときは、模試の点数が170点だった。志望校のボーダーは250点と言われていた。正味5ヶ月で、単純に考えて、5教科で80点も上げねばならなかった。

定期テストの点を上げるのは、はっきり言って簡単である。科目を限定すればなおさらだ。単元ごとに出る問題はだいたい見当がつくし、範囲が狭いので、しらみつぶし戦法も容易である。しかし模試の点数というのは、本当になかなか上がらないものだ。
単純に模試の数学を10点上げようと思ったら、3年間、計15回の定期テストを全て10点ずつ上げねばならんということだ。いや、入試は定期テストより難しいのでそれ以上だ。

生徒の得意科目は国語・社会であった。英語もはじめは得意だったが、いつしか下がっていた。理科は2分野はある程度できるが、1分野はからっきし。数学は徹頭徹尾、大の苦手であった。

170点のだいたいの内訳は、
国語55 社会40 英語30 理科25 数学20 であった。
僕はこういう計画を立てた。
「国語は4ヶ月ではどうにもならんだろう。」
「暗記・読解は苦手ではないので、社会、英語、理科は努力次第で伸びる余地が大きい。」
「数学は、難問を無視し、各単元の基礎を完璧にして計算ミスをなくすだけでかなり伸びる」

点数にすれば、
国語55→55   社会40→60   英語30→60 
理科25→45   数学20→40   合計170→260
という計画である。書くのはとても簡単である。

4ヶ月間がんばった結果、模試の合計点は次のように変遷した。
10月 170点  
 1月 220点  
 2月 260点
 3月 合格。点数は不明。

すげえ。なんて分かりやすいんだ。うなぎ登りたあこのことよ。

国語は一切やらず、彼に任せた。
数学は、計算ミスをなくすため、また計算から逃げようとする気持ちを撲滅するため、毎日少しずつやらせることにした。
英語は「文法の理解」→「長文読解」という二段階で行くことにした。長文を読むためには、文法の理解は必須である。しかしひととおり勉強するだけで身につく代物ではない。だから読解に入っても、間違えたつど文法にもどって、何度でも覚えなおせばいい。
理科は暗記と計算が8:2くらいである。暗記はできるだけ直前にやるほうがいいと思ったので、12月ころに、計算の多い1分野から開始した。
社会はさらに暗記が多いので、一月中旬にはじめた。

具体的な手順を書く。
まず極うすの、超簡単な英語と数学の問題集を与えた。それをつかって、10月・11月は数学と英文法ばかりをやった。数学は四則演算の優先順位や通分から教えねばならず、初めはかなり苦労した。しかし毎日やっていると計算の基本は飲み込めてきて、ミスも減ってきた。数学はそのまま2月中旬までかかってて全単元がおわった。
英文法は数学に比べると飲み込みが早く、12月いっぱいで終わった。年が明けてからは、ひたすら長文を読ませた。長文だけの問題集を1冊与えて、宿題としてやらせた。解説は授業時間を少し割くだけだったので、時間が空いた。予定通り、理科をはじめた。理科も極うすの問題集と教科書を使って、二月中旬までかけて全範囲を終えた。

1月から、週2→週3に変更した。増えた時間で社会を開始した。
地理は、センスがいる。覚えた問題がそのまま出ることは少ないので、あんまり躍起になって覚えても仕方ないと思い、手始めにさらりとやった。歴史は、地理よりは厳密に暗記させた。出来事だけでなく、誰が力を持ち始め、誰が力を失い、それによって何が起こったかを物語風に聞かせた後、細かい事項の暗記に入った。
もっとも力を入れたのは公民である。わが県の過去数年間の出題傾向は、地理:歴史:公民が1:1:2であった。また公民は努力だけで点が取れる科目である。教科書や資料のとおりの条文や図を暗記すれば点数になる。2月中旬以降、かなり力を入れて公民を徹底的に詰め込んだ。

ようやく4科目の全範囲を一通り終えたのは、2月の終わりだった。入試は3月14日である。
最後の10日ほどは、ほぼ毎日、4時間ずつやった。内容は、「入試の演習問題」である。

「ああ、あと1ヶ月あれば・・・」と心中嘆きつつもがんばった。がんばったというのは、生徒がである。僕はといえば、彼が演習問題を解いている間はとことん暇であったので、持参した本を読んだり、教科の参考書を見たり、生徒の部屋のマンガをこっそり見たりしていた。


まとめ

家庭教師の仕事は、「①生徒の勉強への動機付け」、「②カリキュラムの立案」、「③学習の監督」、「④解説」である。

①は人間力、とでも言おうか。分析するのは難しい。演技力、人生経験、魅力、心理学の知識などが必要だ。僕が比較的得意とするのはここである。

②は生徒の学力を見極める力、問題集のよしあしを見極める力、地域の受験事情、出題傾向などを知る必要がある。今の僕には不足しているが、経験とともに自然についてくる気がする。

③は誰でもできる。ただいればいいのだから。しかし、「監督がいる」というだけで普段しない勉強をやるのも事実なので、その存在は無視できない。

④には各教科に関する知識と、それを生徒が分かるように説明する言語能力が必要である。これは経験もさることながら、意識的な努力を最も必要とする。今の僕にもっとも足りない部分である。今回はこれを時間数でカバーした。しかし自分の肉体を効率的に稼動しようとすれば、それだけでは限界がある。また生徒のほうも、いくらでも時間がある訳ではないし、中にはすぐに集中力の切れてしまう子もいるだろう。家庭教師としての生産性を上げるためには、ここにかける努力を惜しんではならない。精進するよ。

ともあれ、受かってよかった。
営業面でも、かなり有利な実績ではある。受かってくれてありがとう、と生徒に言いたい。よっしゃー!!これからもがんばろう。
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by takeyabubass | 2006-03-22 15:09 | 仕事

正しくないほうがおもしろい

ひたすら正しいことばかり書いてある本は、鑑賞対象としておもしろいだろうか。

論文や資料がそうであろう。まあためにはなるが、あまり感情は動かない。

歪曲したものの見方、笑止な論、妬み、僻み。そういうもののほうが、読んだとき自分の中で何かが動く。
「バカめ。」とか、
「それは間違いだろう」とか、
「ガキだなあ」とか心の中で思う。それが楽しい。一種の優越感もある。

僕の書き込みも、そんな風に見られているんだろうとこの頃思う。僕は恐れずに間違いを書き続ける。貧弱な知識に基づくくだらない理想を書き続ける。僕のいる場所を公開し続ける。
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by takeyabubass | 2006-03-22 00:33 | 思想

先天・後天

持って生まれた性質や能力を、「先天的である」という。
育った環境できまる性質や能力を、「後天的である」という。

先天的なものを侮ってはいけない。
慣れ親しんだ道具ややり方が、自分にとって最高とは限らないのだ。

僕はギターを始めて3年になる。ピアノは、習ったことはないが小さいころから身近にあった。祭りの篠笛も、もう2年目である。まだまだ未熟だが、それらはある程度、体になじんだ感がある。そんな中、尺八に出会った。吹いてみて、ほんの一時間ほどで、「ああ、ギターやピアノや篠笛よりもぴったりくる」と思った。

ギターは左手の指捌きがどうも苦手である。ピアノはデジタルな音階がいまいちなじめない。尺八に出会って、それに気づいた。尺八は、体の一部という感じがするのだ。ギターは、あのボディこそ体の一部に感じられるのだが、そこから突き出た板と弦はなかなか、体の一部になってくれない。

祭りの篠笛もかなり吹いていたが、それよりも尺八がいい。甲高くない。細かくない。篠笛が一点集中型とすれば、尺八は八方広がり型である。バスである僕の呼吸法にあっているのだろう。「自分にあったもの」と出会う可能性は、一生あり続けるのだなと感心した。出会いに対する意欲を失ってはいけない。

だがギターをやめて尺八に乗り換える気はない。なぜなら尺八は、歌いながら吹けない。ギターを弾きながらも吹けない。やはり歌+ギターのコンボに勝る音楽形態は、今のところ登場していない。尺八は尺八で、機会があれば練習するかも知れぬ。

眠たくて文章にならない。
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by takeyabubass | 2006-03-22 00:20 | なんとなく

他力本願時

新聞に、「誤った日本語は耳障りなので、言葉遣いを正しくせよ」と書いてあった。

言葉は、それ自体が目的ではない。意思疎通のための道具である。
伝えたい相手が理解できればそれで事足りる。

「おい」
「ああ」
で、会話は成り立つ。

「ロボット置き場で何か音がしたぞ。」
「本当だ、行ってみよう。」
という意味である。

ら抜き言葉とは、言わなくても分かるので「ら」を略したのだと思われる。それをことさらにつらまえて、居丈高に「正しくせよ」と命令するのは間違っている。
「私にも分かる言語で話してください」と頼むか、
あるいは「その言葉遣いだと、通じない人がいるかもしれません」と分析を述べるにとどめるべきだ。タレントや女子高生は何も、あなたと意思疎通したいわけではないのだから。

言葉は表現である。表現において、「教科書的な技術」を強要されるほど不本意なことはない。聞いていて不快であると言う理由で「全員統一せよ」というのは、あまりにおこがましい考えだと、その記事を読んで思った。
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by takeyabubass | 2006-03-22 00:06 | 他人

やる気がおきないときは

やりたいことをやるべきである。
何をやっても、それは経験の一つとなる。ボーっとしてもいいし、音楽を聴いても、散歩をしても、パチンコにいってもいい。
「あんときゃ徹夜でゲームにハマって、仕事が手につかず、大変な思いをしたよ。」こういう経験を語れる人と語れない人では、前者のほうが魅力的だ。

創作的な活動をするのもいい。経験となり、かつ、後に残る。今もてあましているエネルギーを何らかの形で残しておくことは、有意義なことである。僕が文章を書くのはそういうことである。

突如として話は変わる。
この世でもっとも大きな試練とはなんであろうか。
僕はこう思う。

「試練に恵まれないこと」。

人は、試練を乗り越えないと飛び立てない。物語の主人公は、何もしなくても次々と試練が襲いかかる。いうなれば試練に恵まれている。
試練に恵まれぬ我々現代人は、あえて自ら、安閑たる日常を突き破って試練に飛び込まねばならぬ。試練を作るところからはじめないといけない。そういう意味で現代人は、貧困よりもさらに過酷な時代に生まれたといえる。
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by takeyabubass | 2006-03-19 20:47 | なんとなく

祝!3000ヒット。

毎度ご愛顧ありがとうございます。

何度でも言います。ダブりカウントはとっていません。同じパソコンから一日に何度見ても、カウンターは1しか増えません。最近は、一日平均20人の方が見てくださっています。

ずっと見てくれている人もいるでしょう。義理で訪問だけしてくれる人もいるでしょう。なんにせよ、ありがたいことです。がんばりますわ。
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by takeyabubass | 2006-03-17 20:00 | なんとなく

演説の草案書きなぐり2

「青年部」の演説が近い。去年は最優秀賞をいただいた。今年もそれを目指す。

「地産地消」とか、「自給率の増加」とか、いろいろ小難しいことが叫ばれているけど、要は同じ地域に住むもの同士で必要なものをやりとりすることが、巨大資本に飲み込まれないための最良の手段に思われる。「比較優位」一辺倒はモノカルチャー化をまねく。モノカルチャーは偏狭で不安定である。

僕は、「人脈にもとづく経営体」を目指している。
「地産地消」のメリットを、科学的に証明するのは難しい。国産のほうが、外国産より優れていると、断言はできまい。むしろ科学的根拠に基づく「いいもの」を追求したらやはりモノカルチャーに陥るのではないか。
僕は、特に根拠がなくてもいいと思う。僕の思う地産地消とは、とどのつまり、「地元に対するえこひいき」である。

だからこれは、農産物に限って推し進めても仕方がない。農家である我々もまた、同じ地域の人が作ったものをえこひいきせねばならない。それを見極めるのは難しいが。

僕の目指す経営体は、「知産知消」と書くほうが妥当かもしれない。何も地域にこだわることはない。知っている人から買い、知っている人に売るのだ。モノだけを見るのではない。モノにこめられた、作り手の人格を尊重すると言うことだ。物を買うということは、その行為を通して「作り手を生かす」ということである。僕が「買う」ことによって、どんな人間を「生かして」いるのか。
これはかなり重要なことに思われる。確かに、品質と値段に限定して買うものを決めるのはラクだ。その結果、自分の意に沿うものであれば、売り手がどんな人間でもかまわないという時代になった。誰がどのように作っているのか。多くの場合、知りたくても知られない。

「人格も含めて買う」ことは、よほど難しい。たとえ品物が少々劣っていても、高価でも、その人が存在することが、自分や社会のためになると判断したら買う。人物を見定める目が必要である。

本当に真摯な人は、その好意も理解してくれる。「買ってくれたんだからいいや」ではなく、「ああこの人は、劣っているにもかかわらずわが品物を買ってくださった。私に生きよといってくださった。ならば私はそれに応えて、よりいい品を作らねばならない。より社会に貢献せねばならない」ここまで分かってくれる。

そういう人たちと品物をやりとりしあって成り立つ経営体が、僕の理想である。
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by takeyabubass | 2006-03-16 23:38 | 思想

演説の草案書きなぐり1

家庭教師が終わってからというもの、あきれるほどよく眠れる。

頭を使いすぎると、眠れなくなる。農業は頭を使う。著述も頭を使う。家庭教師はもちろんである。農業は体力も使うが、僕の一日を総合的にみると頭のほうをたくさん使っている。四月から、また新しい生徒で家庭教師が始まる。今度は頭と体のバランスをとらねばならない。

人間は本来、いろんな能力を持っている。さる精密機械メーカーの社長の著書にこうかいてあった。「人間と同じ機能を持つ機械を一台買おうと思えば、数千億円かかる。」と。目だけをとってみても、最新技術を結集してもこれだけの機能を持つ機械は作れないのだという。

同じことを毎日毎日繰り返すのは、確かに楽である。だけどそれでは私たちの体が持っている可能性のほとんどを眠らせてしまっていることになる。もったいない。つまらない。しかも、ある一部分だけを酷使しつづけることはいかにも不健康だ。
一つの仕事にこだわることはない。いくつもの仕事を、我々は持つべきなのだ。

ダイエットほど不毛なことはない。太るということは、まだ働けるということだ。一生懸命仕事をしてるのに太るということは、頭や目などを局部的に酷使していて、体全体のバランスが取れていないからだと思われる。そう考えると、オートメーション化もしすぎないほうがいい。それで、ダイエットをするならそのエネルギーをもっと有効利用すべきだ。「代替エネルギー」は何も、風力や太陽光だけではない。我々が使いきれてない肉体エネルギーを、もっと社会的に役立つように使えないものか。
しかしその機会の大部分は石油に奪われてしまって、とりもどすことは容易でない。

急傾斜地の果樹農業はいい。日本の多くの産業が失ってしまった、「全身運動」が残っているからである。頭脳労働と単純労働に特化されすぎた現代社会において、守り育ててゆくべき伝統産業かもしれない。(ギャグ)
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by takeyabubass | 2006-03-16 23:08 | 思想

昨日のつづき

「生徒を自分に憧れさせ、感化することがスタートだ」と書いた。その辺について、後日の自分のために、もう少し詳しく書き記しておく。

憧れさせるといっても、人格全般にわたってスーパーヒーローでなければならんということはない。とりあえず、生徒は問題が解けなくて悩んでいる。ならば、その点でスーパーヒーローであればいいのだ。彼がどう頭をひねっても解けない問題を、カッコよく解いてしまえばいいのだ。

しかし留意点がある。「先生は、私と違って頭がいいんだから、できて当然だ。先生と私とは違う」と思われたら失敗である。ここもまた、家庭教師の手腕の見せ所であろう。
「彼が解けない問題」を、「彼の知っている材料」だけで解いてしまわねばならない。美しく。そして明快に。そうすることで、「練習しだいで自分にもできる」と思わせることができる。

全ての問題で、このやり方が使えるわけではない。例えば、合同の証明をいかにエレガントに解いて見せても、その前提となる「合同条件」を彼が覚えていないのなら、感動は与えられぬと言うことだ。「導入はショーである」という心意気を忘れてはならない。家庭教師は、生徒に感動を与えられるような問題を吟味し、計画しておかねばなるまい。またそれは生徒の学力によって異なる。

ごく大雑把に言うと、導入は数学か英語がいいと思う。この二科目は、2,3の法則性を覚えればそれを応用して難易度の高い問題も解けるからだ。理、社は解く以前に覚えておくべきことが多すぎて、ショーには向かない。

実際は苦しみぬいて、多くの定理や公式を理解せねばならぬ。しかしハナからそれを強制すると、逃げること請け合いだ。まずは上記のごときショーを用いて、「2,3のポイントをおさえるだけで、こんなにもすらすら、いろんな問題が解けるんだ!!勉強って、こういうことか。これならやれそうだ!」という気にさせねばならない。

そうして初めて、「原則の暗記→応用問題」を繰り返させることができる。これで一つの定理を教えたことになる。だが彼は知らない。高校受験のために履修すべき定理はまだ山ほどあるということを。
しかしまあ、そういった努力が積み重なって先生のようなエレガントな解答ができるんだ、ということさえ伝わればいい。

あとは様々な「加速ポイント」を駆使して、立ち止まらせぬようにするだけだ。
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by takeyabubass | 2006-03-13 20:24 | 仕事

Kさんへの返事

生徒が勉強から逃げるのは、嫌だからですよね。
だれしも、教わりたくない人間に教えることはできません。

でも、塾で逃げ回る子供たちが、全く教わりたくないかというとそうではない。塾に来ている時点で、「やらなきゃなぁ、けどわかんないなあ・・・。ハァ、どうしよう。」と内心迷っているわけです。
しかし、「嫌がる自分を鞭打って苦境に立ち向かう」ことを一度も経験したことの無い子供は、なかなかその選択ができない。「立ち向かえば、もっとしんどい」と思っている。
実は、そうではない。さる友人が、さる偉人の言葉を引用して名文を書いていたので使わせていただく。

「恐怖は、立ち向かえば半分になるが、背を向ければ二倍になる」

恐怖に立ち向かった人のみぞ知る真理である。まず子供に、立ち向かわせる気を起こさせないといけない。・・・そんなことは分かりきってますよね。

立ち向かったことのない人間にその気を起こさせるのは容易でない。誰でもできる、マニュアルがあるのかどうかも知らない。ただ僕が自分の狭い経験から見つけたやり方は、「自分に憧れさせ、感化する」ということだ。

努力は嫌だけど、この人のようになるためには努力せねばならん、だからやろう。そこがスタートだ。生徒にそういう気持ちが少しでも起こったら、そこをつらまえて、うまいこと乗せて、「課題→指導」を繰り返す。しかしそれだけでは失速してくる。そこで功を奏するのが「テスト」である。先生の言うとおりやった結果、定期テストで点が伸びた!親や友人にほめられた!これが第二段階である。これを成功させるためには、正しい指導力が必要である。そこで成功すると、また加速する。なんにせよ、随所に「加速ポイント」を設置しておかないといけない。特に初めのうちは。

その他にも、「教科自体のおもしろさ」や「努力する自分に対するナルシズム」など、いろんな加速ポイントがある。いろんなところから刺激を与え、失速しないようにする。「いかに多くの加速ポイントを使いこなせるか」、これが家庭教師の力量の、大きな部分を占める。

このようなやり方は、少人数に、長時間かけてじっくり教えるときしかできないかもしれない。カンフル剤のような効能を持つ指導法を、僕は知らない。あったら教えてください。
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by takeyabubass | 2006-03-13 01:31 | 仕事



架空の人物「竹やぶ」のブログです。書いてある出来事はフィクションです。論や思想も、架空の前提をもとに展開されているため「筆者の意見」という訳ではありません。
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