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多方面同時侵攻

新しいやり方で家庭教師をやってみた。

・・・めちゃ時間かかる。「授業」しても、そのあと自宅でで解けない問題はあって、次の時間にそれを解説していたらどんどん時間がなくなる。社会など、やる隙間もあらへん。3時間に増やしても。

このままではいかんので、次回からは解説のときに、「発展問題」は省こうと思う。単元の一番最後の、高レベルの問題はもはやできなくていい。合格のためには、「如何に確実に60点を取るか」が大事だ。基本と、中程度の問題だけカバーしていこう。

つくづく思うことがある。それは「こっちがしゃべればしゃべるほど、相手は疲れる」ということだ。的確なポイントだけを解説できるようになりたい。まだまだ無駄な言葉が多い。
今は英・数で3時間を使っている。できれば英1時間・数1時間・理社1時間くらいにしたい。それを週二回。

これもつくづく思うこと。効率的な1時間のためには、もっとたくさんの準備時間が要るということ。しかし今僕はフル稼働している。本格的にやればきりがないが、本業の農業をおろそかには出来ない。まあこの調子でいくしかない。

あと半日でバレンシアの摘果が終わる。あとはみかんとりと梅の剪定に、淡々と取り組めばいい。選果機の導入は正解だった。3分の一の時間で選別がすむ。残った時間を剪定や消毒にまわせる。それが経済効果である。


梅の剪定は、知識として基本を知っているがまだ迷う。主枝を内側に持ってきて開心自然形にするか。外に持ってきて杯状型にするか。一長一短である。開心自然形は収穫量がおおい。杯状型のほうが作業がラクである。どちらも「型」としては確立している。いちばんいけないのは、迷いながらどっちつかずになることである。今の僕の状態である。
「とにかく繰り返すこと」がもっとも正統な解決法であろう。やりこむぞ!!
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by takeyabubass | 2005-10-31 23:10 | 仕事

無題

11月3日午後6時にに地震があるという情報が周囲で広まっているが、根拠はない。
「くだらない。単なるデマゴーグだよ。」
心の中でそうつぶやいた。
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by takeyabubass | 2005-10-30 20:49 | なんとなく

改善

家庭教師の進め方を変えた。見違えるようにのみこみが良くなった。集中可能時間も長くなった。と言うか、今までが不合理すぎた。一つ改善できてよかった。

今まで僕は、まず家庭で問題集をやらせて、そのあと分からないところだけを教えていた。順序を逆にした。まず、問題を解きながら単元全体の「授業」をする。そして家庭では、復習としてその単元の問題を、別の問題集でやらせる。
つまり、もういっぺん一から授業することにしたのだ。成績が良くない子は、これまでの授業を聞き流しているのである。つまり授業を受けていない。そんな状態でいきなり問題集を出されても、やる気はおこらんだろう。(もっと早く気づくべきだった。)だからまず僕が、授業をする。すると、復習として家でやる問題はたいてい自力で解ける。よし正解できなくても、解説を自分で読んで理解できる。(このへんはまだ、一部仮説の段階である。この傾向が長く続くようなら、さらに確信は深まる。)

このやり方だと、1つの単元をやるのに今までの2倍くらいの時間がかかる。しかしこの時間彼らは「勉強している」わけだし、理解度も深いだろうから、長い目で見たらいいかもしれない。新しい教え子だけ、家が近いので1回3時間にした。授業料はそのままで。もう一人も、なんとか改善したいと思っている。

今までのやり方でも、点数は伸びた。始めの子は英数では、50点以下だったのが今では80点以上を取りつづけている。今回の中間でも、英語はまだ返ってきてないが、数学は89点だった。数学はおもしろいとも言っている。しかし模試での点数が、いまひとつ伸びない。これはやはり、家庭教師を始める前の単元につまづきがのこっているからと思われる。もう一度授業をしてやれば、伸びる可能性は高い。


そうなると、こっちはもっと「授業力」を鍛えねばならなくなる。より短時間で分かりやすく授業する力である。教科全体のポイントの把握と、「この単元はこう説明するとわかりやすい」とか、「この手の問題にはこう対応すればいい」という、枝葉のテクニックももっと必要である。専門書を読んでいると、僕の知らないものがでてくる。これからたくさん蓄えたい。

それと、「社会はおしえられない」などと言っておれない。「社会は自分で勉強するんだよ」「わかった」といっても、状況を見るに、自力で効果的な勉強はできていない。かといって、「暗記作業の監督」だけやっても、彼の士気は著しく低い。叱咤激励だけしても無駄である。つまりここでも、彼が興味を持ちかつ内容を理解できるような授業が必要である。

今日本屋で、社会に関するぶあつい参考書を立ち読みしたら案外おもしろかった。同じ単元で3冊見比べて、もっとも分かりやすくまとめてあるものを買った。これからまた勉強して、授業ができるようになりたい。もちろんできないなりに、授業はすぐ始める。拙い授業で彼らにマイナスとなる場面もあるかも知れんが、僕も成長したいのでつきあってもらおう。

しばらくは、月謝を投資に回す期間が続きそうである。
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by takeyabubass | 2005-10-30 00:39 | 仕事

大学時代の友人について

ながはまーず(リンク参照)の歌い手5人のうち、3人が教師志望であった。またあとの2人も、かなり規模の大きな合唱団でパートリーダーをしていた。つまり人を「教育する」立場に長くいた。だからながはまーずは、教育者集団ともいえた。5人の教育者たちは、対外的にはもちろん、仲間同士にも強い影響を与え合った。

中でも僕の人格に大きな影響を与えた2人の教師がいる。彼ら2人は、アプローチこそ違えど、「自分が正しいと思う方向に他者を導く意欲に満ちている」という点で共通していた。ひろと、Gさんである。
彼らと出会う前の僕は、こざかしいお調子者だった。特に決まった道筋もなく、なんとなくノリでその場その場をすごしていた。それでいて自分が、何か偉大な人物のように思っていた。

そんな僕が、ひろからは
「自分の信じる道を、自分の力で歩け」 というメッセージを、
Gさんからは、
「正しい方法で努力せよ」 というメッセージを受け取った。

彼らが意図的に、僕をそう教育しようとしたわけではないだろう。だが彼らの行動、発言、態度はよくそのメッセージを内包しており、影響を受けやすい僕は、それに対して無反応ではいられなかった。つまり彼らに感化されたといえる。


ほしい能力が手に入るかどうかは自分の意欲のみにかかっているので、何かができるようになりたいと思ったら、人目を気にせず習得にはげめばいい。
ただし方法論は理にかなっていないといけないので、うまい人や信頼のおける教本に従って、基本に忠実に努力せねばならない。

こういう当たり前のことを、彼らに気づかせてもらったという点でも、有意義なバンド活動であったと言える。
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by takeyabubass | 2005-10-29 01:02 | 他人

ショック → 新境地

今日の午前、農協の主催で、いわゆる「達人」の畑を見学してきた。といっても車で2,30分の圏内である。4箇所見てきた。うち2箇所は圧巻だった。

平地である。木と木の間隔が広く整然と並んでいるので、作業性が抜群に良い。畝を立てて、水はけをよくしている。防風ネットで畑を囲んでいる。至るところでヒモによる枝の誘引をしている。すべからく株元をしめたマルチ栽培である。実が柔らかく、群状になって浮き皮がない。カメムシや蛾や裂果によって木の上で腐った実がない。皮が柔らかく、きれいな「みかん型」をしている。フツ元まで真っ赤に熟している。大きさにバラつきがなく、Mサイズが中心である。摘果した実をマルチシートの上に放置せず、畑の外に持ち出している。極端な豊作、不作がない。残念ながら食べさせてはもらえなかったが、全ての条件が「このみかんは非常にうまい」といっている。僕にも、それくらいはわかる。

総じて、「徹底的に管理された空間」である。だからそう広い面積はできない。みんな10aから20aだった。おそらく手をかける園地とかけない園地を分けており、今日見たのはその人が一番力を注いでいる畑だろう。にしてもすごかった。
それでいて、栽培面積は梅のほうが広く、総面積も僕よりかなり広い。つまり何十年も本気でやってる人と、かけだしの上独りよがりでのんびりやっている僕との実力差が、そこにありありと横たわっているのだ。

まずショックを受けた。僕はザコだと思った。昨日まではそれでいいやと思っていたのに、急にそれが虚しくなった。つらくなった。あまりのショックに、昼休みは寝込んでしまった。1時過ぎに目が覚めて、赤い目で、悶々としながら軽トラにのり、一人畑に向かった。バレンシャの摘果である。


風が冷たい。木の肌は暖かい。日光は、寂しげな秋の色を帯びている。
樹齢80年の老木に登っていつものように仕事をしていると、だんだん気持ちは落ち着いてきた。自分が虚しいのではなく、彼らがとてつもなくカッコイイのだと感じ始めた。そう、夏目漱石やアンドレア・ボチェッリに対するような思いである。月並みな言い方をすれば「尊敬」である。

農家も、表現者であると言う点では彼らとなんら変わらない。僕も、歌や文章を好んでやるところを見ると、表現者の端くれである。これまで「農業は表現である」と実感したことはなかった。特に最近は、「生活に必要な金を得る手段」に堕していた。僕はもうけに対してはさほど執着していないので、自然、農業に対する考えもそう苛烈ではなかった。

しかしよく考えてみると、「うまいみかんが作れる」というのは、めちゃくちゃかっこいいことである。全部が全部そうでなくてもいい。たとえ10aでも、自信を持って人に食わせられる畑があって、それを食った人が「すげえ」と感動したなら、それは大きな喜びである。今の僕には、未知の喜びである。

「それをやりたい!」と、強く思った。
ひろがギターを弾くのを見て、大学4年のとき僕もギターを買い、練習を始めた。ボチェッリを見ながら歌の練習もした。一日に少しずつそれを続けた結果、姉の結婚式には、多くのお客さんが絶賛しプロの目にもとまる演奏ができた(お世辞もあろうが)。そういう経緯があるから、農業でも時間をかけたらできるはずだと思った。

誰かに、僕のみかんを食べさせたい。そしてうまいと言わせたい。
諦観の境地から反転して、あくなき欲望へとつきすすむモードに入る予感である。諦観も悪いことではない。こういう時期も必要である。陰と陽は表裏一体である。より深い諦観の念をもつものは、同時により強い衝動を、同じ心に宿すのである。
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by takeyabubass | 2005-10-27 18:14 | 思想

新発見

カマキリはかわいい。
さわったり、手に乗せたりしても逃げない。手の上でじっとしている。自分が最強だと思っているのだろうか。

カマキリを手に乗せて顔を近づけ、顔を左右に大きく動かしてみるといい。僕の顔が右に行ったら彼の顔も右、左に行ったら左を向く。常にこっちを見ているのだ。

何を考えているのかしらん。
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by takeyabubass | 2005-10-26 20:10 | 自然

真面目ギャグ

何をやるにも、方法論と言うのがある。どの道にも、先人たちの膨大な失敗に基づく「正しい」とされる道がある。
僕は家庭教師をしているが、教育の方法論には暗い。プロがどんなやり方をしているのかには、実は興味がある。今日、ジュース工場の会議が終わったあと、本屋に行った。そして教育に関する本をいろいろ見てみた。

向山洋一という名前が、やたらと目に入る。教育界の巨峰なのだろうか。ながはまーず出身の先生方、知ってる?

ふと目をひいた文章があった。
「定石というのがある。定石とはその時代々々のトッププロが、伝承と改良を積み重ねて今日に至ったものである。囲碁では、何億回打っても我流は定石には勝てない。教育にも定石がある。我流の教育はやめて、定石を学べ」というようなことを書いていた。

定石を追求し続けるか。我流でいくか。
どの道にいる人でも、常にこの葛藤はあるだろう。定石は、追求したらキリがない。しかも、スタートが遅れたら前の人にはなかなか追いつけない。これまでのやり方を一から見直すのは、非常に面倒でもある。だが、我流ではいずれすぐに成長が止まる。

僕はまだ若いのだから、一も二もなく定石に従うべきなのだが、いかんせん面倒なので、多くの局面で我流を採択している。だから成長しない。「成長しない者」が行き着く先に、僕は行ったことがない。我流の者が味わうべき不幸のどん底を、僕はまだ体験していない。面倒がりの僕は、嫌と言うほどそれを堪能しでもしない限り現状を改めはしないだろう。

「バカは死ななきゃ直らない」
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by takeyabubass | 2005-10-26 00:23 | 仕事

教え子

中間テスト直前である。

二人とも、「課外授業をしてくれ」と言ってきた。「点をとらなきゃ」という危機感というか、意欲が見られてうれしい。相手がそっぽを向いているのと、こちらを向いているのでは同じ授業でも効き目がぜんぜん違う。相手が意欲的だと、こっちもあまり疲れない。

僕は、数・理を教えるのが得意である。なんといっても、自分がこの教科を好きなので楽しい。特に数学は、明快な一本の道を歩んでいくようである。理解と訓練を繰り返し、強くなっていく。理科は単元ごとに一から仕切りなおしだし、暗記も多いので少々面倒くさいが、まあおもしろい。

英語の教え方もだんだん分かってきた。文法や単語は、類型化と暗記の作業である。それらを下地として、長文に慣れていけばいい。

社会は教えたことがない。食わず嫌いである。「ワーク覚えといたらええわ」くらいしかよう言わん。どうも、広く浅い網羅型の知識を養う意欲がわかんのである。

国語は実は、理詰めでかなり点が取れる。正しい文法と語句の意味を理解しておれば、論説文と古典は数学的に解ける。ただそれをこまめにやっていくと膨大な時間がかかるので、正しい文章をたくさん読んで、フィーリングを養うことも大事なように思う。
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by takeyabubass | 2005-10-24 23:38 | 仕事

ヘビースイーター 竹やぶ

僕はヘビースイーターである。それはもう病的なくらい、甘いものが好きである。昔からそうだ。おかげで歯は良くない。治療していない歯は少ない。糖分の取りすぎは糖尿病に結びつくらしいが、それがどれくらい進んでいるかは、症状がないので見当がつかない。

高校から大学にかけてが、最も重症だった。とにかくお菓子を食べまくった。それこそ、馬がまぐさをはむごとく。特にチョコレートが好きだった。あのなめらかな舌触りの、ふくよかな香りの、艶やかな光沢の、ストレートな甘さの、ひんやりとしたブロック。板チョコは西洋の扉に似ている。四角のものは、歯がめり込むと割れる。ファットブルームをおこしたのもまた、あのガシガシ感が憎めない。

今は、ゆっくりと甘いものを食べる時間があまりないので、当事よりは節制できている。でもときどき、タガが外れてむさぼる。
タバコは体に良くないという。僕はタバコを吸わない。しかしヘビースイーターなので、生半可な喫煙者よりは不健康かもしれない。結局は人間、ストレスの解消が必要である。疲れていたら、いろいろやる気力もないので自然、のんべんだらりと同じことを繰り返して疲れを忘れようとする。
それが酒か、タバコか、チョコレートか、ギャンブルか、ゲームか、性行為かというだけである。やりすぎたらどれも体に悪いことは、言うまでもない。

「タバコを吸っているほうが不健康」と、一概に断定できない要素がそこにある。どういうことかというと、

ストレスの解消法が 酒 タバコ パチンコ マージャン 女 ドラクエ と多岐に渡る人は、リスクも分散される。
酒だけでしか解消できない人は、リスクが集中する。

酒もタバコもギャンブルも女遊びもしない人は、一見健康的なようだが、実はとんでもなく不健康な可能性がある。ストレス解消法は多いほうがいい。

僕のストレス解消方は、ここに載せられるものでいえば、

食べる
寝る
本・マンガ・ネットを見る
ブログを書く
ギターを弾いて歌う

である。(こうしてみたら、スポーツが何もない。何かやろうかしら)
あとは、できるだけ好きな仕事で、必要最低限のお金を稼ぐようにしている。
また趣味にお金がかかりすぎると、稼がねばならぬ金額も増えるので、極力安上がりを心がけている。
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by takeyabubass | 2005-10-23 20:46 | 趣味

ありときりぎりすの話を知ってるかい?

夏に一生懸命働いたアリは冬を越せて、遊んでばかりいたキリギリスは死んでしまったというお話。「一生懸命働きなさい」という訓戒がこめられているのだろう。

しかしこの話には続きがある。

この話を聞いた、一匹の若いキリギリスがいた。名を鉄幹(てっかん)と言った。彼は、「先人の轍を踏むまいぞ」と一念発起し、周りのキリギリスが遊んでくらす夏の間、額に汗して食糧を蓄え、寝床をこしらえた。来る日も来る日も独りで穴を掘り、干し草を作った。そしてついに、立派な寝床と5か月分の食糧の備蓄ができた。彼は満を持して冬を待った。

しかし冬の訪れとともに、彼の体は次第に弱っていった。11月のある朝、彼は一生をかけて作った寝床の中で、大量の干し草に囲まれて死んでいた。

鉄幹の手記にはこうある。
「10月25日 さむくて動けない。食欲もない。死がちかづいていることが分かる。
働くことは善、遊ぶことは悪という風潮を正しいと信じ、私は働き続けた。自分がキリギリスであることを忘れて、アリたろうとした。しかし所詮は無駄な足掻きで、どうがんばっても冬は越せなかった。
先祖は正しかった。キリギリスはキリギリスらしく夏を謳歌し、冬の到来とともに死ぬべきなのだ。キリギリスである私が、アリたろうとしたことが悲劇の始まりであったのだ。

このお話が与える教訓は、うってかわってこうなる。

自分らしく生きよう―


しかし鉄幹の手記には、こうも記されている。
「11月3日 床に臥して2週間になる。いつ死んでもおかしくはない。あれから体は、衰弱する一方である。もはや何の望みもない。
しかし、心は日一日と安らかになっていく。以前は、アリたろうとして一生を棒に振ったことが悔やまれて仕方なかった。なんで自分を偽って、こんな一生をおくったのか、と。
しかし床に臥してのち、必死だった当事を思い出すと、そこにいる自分はなんとも美しい。今、寝床の横においてある干し草も、全て私が摘んだものだ。保存法など全く知らなかった私が、試行錯誤を繰り返してこれだけの偉業をなしたのだ。一生を通じて、私は希望に満ちていた。虚しさを感じたこともなかった。充実していた。
それで十分ではないか。そしてこの静かなる、干し草と土のにおいに満ちた薄暗いねやで、こうして死んでゆくのである。なんという安らかな気持ちであろう。
私は私であった。「アリたろうとするキリギリス」、それが私なのだ。私は力の限りやった。輝きに満ちた生涯であった。今となって、なんの悔いることがあろう。」

これが強がりでないことは、彼の死に顔が証明していた。安らかな死に顔だった。
この童話には、もはや何の訓戒もない。


どんなに悲壮に見える生き方でも、周りから見ておかしくても、全ての人が必ず訪れる境地がある。

「諦観の境地」。

ここに達すれば、全てを受け入れられる。どんな自分にも納得できる。あらゆる苦悩は解決する。

要するに、我々には声を大にして世の中に伝えるべきことなど何もないのだ。おのおのが、その人生の中で必ず「諦観」に行き着く。ならば、苦労して変えねばならぬことなどこの世には何一つない。説話など、不要である。教育もしかり。
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by takeyabubass | 2005-10-22 22:03 | 思想



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