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カテゴリ:なんとなく( 33 )

またしてもこんな時間に。

なんか最近、忙しさに飽きてきた。飽きたから次のステージに行こう、とも思わない。変化にも飽きた。世の中に飽きた。存在することに飽きた。
かといって死んでみても仕方ない。「死後も自己は存在する」というのが僕の信仰である。故に死とは、終結ではなく変化にすぎない。「存在」に飽きた以上、死すら有効な解決策にはなりえない。われわれは、自らの意志に関係なく永久に存在することを余儀なくされているのだ。

以前書いた。「どんな状況にでも、慣れることができる」と。裏を返せば、「どんな状況も飽きる」ということだ。どうすればよいか。僕は知っている。どうしようもないのだ。アンニュイに襲われるのは初めてではない。

ところで、「自ら死ぬ」という行動はものすごい精神的バイタリティを必要とする。精神エネルギーが、我々を強固に縛り付ける肉体エネルギーを凌駕せねば実行できない。肉体は、僕の意志に関係なく僕を生かす。アンニュイの中で、それにはむかう気力など起こるはずが無い。そういう意味で、自殺をする人は「超積極的」である。

僕の場合、アンニュイに襲われたら「無為の殻」に閉じこもることにしている。体を「オート操作」状態にしておいて、精神だけ呆けるのである。せわしく、せわしく明滅する様々な現象を眺めてときどきキャハッと笑ったり、いつまでも毛布に包まってねていたりするのだ。幽体離脱に似ている。「オート操作」状態は、等速直線運動である。意志の力は必要ない。また意志が必要な活動はオートではできない。

「肉体をオート操作にする」という手順を怠って無為に陥ると、社会生活が営めない。飽きたからといって仕事をしなければ、畑に草が生え、収入が無くなり、体は蝕まれる。それをいやというほど体験したのが、大学時代であった。

「どうでもよくなる時期」は必ず訪れる。しかし時間とともに去っていくのも確かである。そのときに、心身ともに活動を停止したら、後で必ず後悔するのだ。だからちょっと面倒だが、無為期間に入る前に、肉体だけオートにする。

精神と肉体を切り離す修練を積むことが、社会人には要求される。
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by takeyabubass | 2006-03-11 01:37 | なんとなく

なんかわけ

最近は、趣向を凝らした著作ではなく、単なる日記になりつつある。それでも書かないよりはましか。

明日はいよいよ梅の消毒だ。南高梅はまだ実が見えないが、白加賀はもう膨らみつつある。ICボルドーではなくZボルドーをやらねばならない。
時間が余ったら今日掘った穴に燐酸肥料と石灰と活性腐食酸を入れておこう。

14日はいよいよ高校入試である。教え子B本人の、第一志望の合否がそこで決まる。ああ。受かれ受かれ。僕のために、受かってくれることを強く願う。授業はあと二回。

4月には、人前で歌うのが1回と、演説が1回ある。それにむけて、そろそろ調子を整えていかねばなるまい。日ごろの積み重ねの成果を発揮したい。
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by takeyabubass | 2006-03-11 00:46 | なんとなく

焼芋、消滅

僕が続きを書くといって書いたためしがないのはご承知のとおりである。

昨日、大量の梅の剪定枝を燃やした。白煙が渦巻き、火柱は天を焦がした。ひととおり燃えた後は、薄暗い夕闇の中で木炭の中に燈った火が、からからと明滅していた。時折大きな燃え残りから、青い炎がふきだしては消えた。
焚き火をすると、確かに暖かい。しかしそれは体の前半分だけである。背中の冷たさが際立つ。そのアンバランスが不快になり、時折焚き火に背を向けるのだ。こんどは背中が温かい。景色が変わる。あたりは真っ暗なのに、空はあくまでも明るく、透き通っている。オレンジと、黒山の稜線が切り絵のようにくっきりとしている。

気温が下がり、空気の湿り気も増してくるのに、焚き火は僕を守ってくれる。決して弱まることなく、僕を包んでくれる。この安心感。
のどかである。うららかな陽気とは、また違った心地よさだ。

人を雇って、広い面積で、社長と呼ばれて仕事するのはカッコイイ。
しかし今のように、のんびりとやりたいようにやるのも幸せである。
結局どっちになってもいいのだ。なるようになったんでよかろう。

ああ、題名と違う方向に話が進んでしまった。
蛇足かもしれないが付け加えておく。

司馬光が、焚き火のあとの灰で焼芋をしようと、濡れ新聞と銀紙を巻いたサツマイモを二本用意した。僕は灰の中にそれをうずめた。
そのまま朝まで忘れていた。仕事に出る前に気づいて掘り出したら、銀紙に包まれた芋が出てきた。しかし火箸でそれをたたくと、「ボフッ」といってへっこんでしまった。何の手ごたえもなかった。焼芋は、消滅した。おわり。
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by takeyabubass | 2006-02-07 00:25 | なんとなく

祝!!100作品目。今日はめちゃくちゃに書こう。

大学時代のことを思い出すのがすきだ。
うすぎたない、寒いベッドにうっぷして、アンドレア・ボチェッリを聞きながら、「ああ、なぜこの人はこんなにも、多くの人を感動させられるのか。この人と比べて自分はどうか。ああ、僕もいつかこの人のようになれるのだろうか。到底、なれる気がしない。つらい。どうすればいいんだ!」などと思っていた。彼に対する嫉妬はなかった。純粋な憧れがあった。突如、いてもたってもいられなくなり、合唱団の練習室に一人こもって、発声練習などしたりした。歌に対しては、本気だった。だからなおさら、辛かった。

そんな大学時代には、高校時代を思い出すのが好きだった。
高校時代は、楽しかったなあ。自然に囲まれた宿泊施設での、過酷な合宿。天窓からは、ひのき林が見える。白く光った空から、はらはらと雨が落ちている。その天窓に、僕たちの声が吸い込まれていく。幻想的な光景だった。
能力の高い、それでいてバカヤロウな仲間たちがいた。自分たちのフィールドで、思う存分プレイできた。「男子というだけで二軍扱いされる」合唱部において、個性にもとづくサブカルチャーを開発・発展させ、他の部員や顧問を嘆息させた。俺たちは、スーパーヒーローだった。


高校時代は、小学生時代を思い出すのが好きだった。
中学時代に、いい思い出はあまりない。「閉ざされた3年間」という感じだ。中学は、あまりにも不自由だった。縛られていた。いわゆるイイコだった。定期テストでは、常に上位でなければならないという強迫観念があった。部活でも、活躍せねばならなかった。生徒会長もした。しかしこれといって何かを成し遂げた記憶はない。教師連中にとっては、もっとも忠実なる生徒の一人だっただろう。教育熱心な教師が多かった。父性的な権威でもって、僕らを押さえつけた。我々の中学校は、近隣でも有数の、「治まった中学校」だった。だが、こういう気風が今の僕の「勤勉さ」を育んだのかもしれない。勤勉さによって得るものも大きいと、今となっては思う。そういう意味ではありがたい体験だった。



話はがらりとかわる。
他愛のない妄想だが、僕は時々こんなことを思う。
今僕が思い出す過去のことどもは、どこか違う次元の世界で、今も繰り返し起こっているのではないか。次元を超えて周囲を見渡せば、今ながはまーずで活躍している僕らが見える。閃光のごときスマッシュを、ロビングしている僕が見える。関ヶ原の合戦が見える。劉備軍の進撃が見える。そして今、ここに生きている僕がいる。

こんな妄想もある。
限りなく大きな世界は、限りなく小さな世界につながっているのではないか。片手ですくった風呂の湯の、水分子の中の素粒子のそのまた奥に、僕の住んでいる宇宙がある。逆にまたこの大宇宙は、いつまでも飲まずにそこにおいてあるヤクルトのふたの、金属原子の周りを飛び交う電子の奥のさらに奥に、ひっそり灯っているのじゃないか。

またこんな妄想もある。
世界中のすべての生き物、どんな偉人も、動物も、植物プランクトンも、かつての、生まれ変わる前の僕ではないか。僕はかつて、ヒメタニシだった。その前はメタセコイアだった。その前はチングルマ、その前はモクヨクカイメンだった。この世のすべての個体を、僕はすでに網羅したのだ。永遠の時間の中で無数に輪廻転生を繰り返して、今の僕が最新である。仏陀も、セマルハコガメも、パソコンの前にいるあなたでさえも、かつての「僕」なのだ。この世というひとつの舞台で、永遠の時間の中で、僕は無限の個を演じて今に至るのだ。世界はひとつしかなく、時間はひとつの方向にしか流れないというのは単なる錯覚である。現にこの世界には、何人もの僕が同時に、別々の方向に生きている。個と個は、時に交わり、時に平行線となり、彼方からやってきて彼方に去って行く。もういいや。


話はがらりと変わる。
さっき11時過ぎに家庭教師を終え、その後2時間以上にわたって、コンビニめぐりをした。週刊誌の、立ち読みをするのである。主にマンガ。一つの店にあまり長いこといると、なんだか感じが悪いので、数冊読んだら適当に100円程度のお茶やお菓子を一つ買って出ていく。それがなかなか楽しかった。

それでこんな時間まで起きている。明日も通常通りの仕事で、寝不足は後悔を生むことは目に見えているんだけど、今は別に気にならない。むしろ積極的に起きていたい。

休日はない。土日のみ、夜の家庭教師が休みだ。今日はテスト前なので臨時にやった。全く、最近の若いモンはよく働くと思う。僕だけじゃなく。働くことを常態化できている人が多い。別にそれを自慢とも思わんし、辛いとも思わん。肩がこっているのは事実だ。寝不足も事実である。もう3時になる。
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by takeyabubass | 2006-01-30 02:45 | なんとなく

明けましておめでとうございます。

忙しくて、パソコンに向かう時間もなかなかとれませんが、新年の挨拶くらいしておきましょう。

去年は、ヤブログをご愛顧いただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

僕の計画はいつも、メニュー方式です。1つに搾って確実に達成を目指すよりは、思いつく限りの目標を並べて、その中のいくつかを選択するというやり方です。緊張感は生まれにくいですが、人生において決してせねばならないことなどないので、このやりかたでいいよ。

以下に今年の目標を書き並べてみましょう。去年から持ち越したものもかなりありますが、まだ有効です。思いついた順番に書きます。

HPに店舗を作る
オリジナルダンボールを作る
名刺を作る
イノシシ柵の補強
柑橘類の肥料を増やす
作業受託により経営耕地面積を増やす
農業用倉庫を建てる
大谷で宮川早生を捕植する
岩井谷で極早生を増やす
岩井谷でせとか・レモンを植える
岩井谷で宮川を間伐する
大玉で柑橘→梅への転換を進める
梅の剪定の、自分でやる面積を増やす
岩井谷にスプリンクラーを設置する
継続的な雇用労働力を確保する
農協以外の取引先を増やす
簿記をちゃんとつける

家庭教師の教え子を二人受けもつ
中学社会科・英長文の指導法の模索

弾き語りのレパートリーを増やす
横笛のレパートリーを増やす
ブログを書き続ける

一生の友人を大事にする
予定帳に予定を書く


思いつき次第、どんどん加えていきます。そのときの気分次第で、やりたいやつをやります。

それでは。
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by takeyabubass | 2006-01-07 01:42 | なんとなく

眠れないのでごそごそ起きだした。

眠れない要素などないであろうに。
まあ眠れないのなら仕方ない。有意義に過ごす算段をすべきだ。夜も更けたのでギターは弾けない。つらつらと書き込みなどして過ごそう。

最近、自分で言って気に入った言葉がある。

「タダで使えるのは、自分だけである」

当たり前のことだが、あらゆる経営者が肝に銘じておくべき言葉に思われる。自分以外をタダで使って成り立っている経営は、いずれ破綻すると思っておけばまあ間違いなかろう。



最近、自分で思いついた「適正診断法」がある。

例えば、Aさんが入社2ヶ月目のBさんに「下の部屋の、冷蔵庫の上にある灰皿をもってこい」と言ったとする。Bさんは言われたとおり探したのだが、冷蔵庫の上にそれらしきものは見当たらないので、手ぶらでもどってAさんにその旨を伝えた。Aさんは仕方なく、自分でとりにいった。Aさんが探すと、冷蔵庫の上に確かに灰皿があった。
実は冷蔵庫は2つあり、Bさんは片方の存在しか知らず、そこだけを探した。灰皿はもう1つの冷蔵庫の上にあったのだ。

Aさんは、Bさんが当然2つの冷蔵庫の存在を知っている、あるいは気づくと思って「冷蔵庫の上」としか言わなかった。「二つあるうちの大きいほうの冷蔵庫の上に」と言っていれば、Bさんもわかったであろう。
もしくは、Bさんが注意してもう1つの冷蔵庫を見つけていれば、問題なく灰皿を持っていけたであろう。どちらが悪い、ということはない。どちらかが歩み寄れば、今後このようなミスはなくなる。ではどちらが気をつけるべきか。その答えは、人によって違うだろう。

「Bさんに問題がある」
と思った人は、人を使うよりも、人に使われるのに向いている。なぜなら、「使われる側に問題がある」と思ったからだ。自分が使われる側なら、「これじゃいけない、もっとがんばろう」と思うに違いない。逆にこういう人が「使う側」に回ると、部下を非難するばかりで指揮官としての能力は伸びない。

「Aさんに問題がある。」
こう考えた人もいるだろう。
こういう人は、人に使われるより、使うのに向いている。「次はもっと的確に指示しよう」と反省するからである。使われる側にいたら、「ちゃんと言わない上司が悪いんだ」と愚痴をこぼすばかりで一向に伸びないだろう。

ちなみに僕は後者である。
この場合の、「使う」「使われる」の間に上下関係はない。管理職と作業員、どちらが欠けても仕事は成立しない。ただ、適材適所という言葉がある。それぞれが自分に合った位置で仕事をすることは大切である。
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by takeyabubass | 2005-12-27 02:16 | なんとなく

好きなもの

先日買ったレッ地理とエミ眠のCDは、1週間もしたらめっきり聞かなくなった。その少し前に買ったポールサイモンのベストアルバムは、いまでも毎日のように聞いている。過去半年に買ったCDはこの3枚である。サイモン&ガーファンクルは高校時代からのお気に入りだったが、解散後のポールのソロはこれが初めてだ。

洗練された柔らかな音と、粋な音楽的「相の手」が良い。僕はやっぱり、毎日長い間鑑賞できるものを求めている。しかしそれは、なかなか出会えない。そういうもののよさは、一度聞いただけではわからないのかもしれない。今のところ、夏目漱石と、アンドレアボチェッリと、ポールサイモンがそうだ。こういう出会いは、いろんなジャンルの本やCDをひとしきり買い込んで、その中でやっと1つ見つかる。発掘には多くの時間と金とエネルギーを要する。
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by takeyabubass | 2005-12-20 01:23 | なんとなく

盧武スカ

「おしずかに。
ことばを慎み給え。
君はラピュタ王の前にいるのだ」

それらしいことを言って場を盛り上げ、演出するための遊び心だろうか。
それとも、王座に君臨したらこんなふうに振舞おうとずっと心にきめていて、ここぞとばかりに真面目に言ったのだろうか。

後者のような気がしてならない。
昔は思わなかったが、今あのシーンを思うと笑えて仕方がない。
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by takeyabubass | 2005-12-17 00:07 | なんとなく

「世界」

こころにゆとりを持たずがんばりすぎると、うつ病になるようである。僕はゆとりのない毎日を送っているのだろうか。張り詰めすぎて、ある日突然鬱になるのではないか。自分では分からない。

いやいや、これくらいは人並みだ、という気もする。サラリーマンはもっと大変なんじゃないか、とも思う。自分を甘やかすと、どんどん自堕落な方向へ流れるのはわかっているので、時には嫌がる自分を鞭打つこともしなければならない。

その度合いはよくわからないが、まあ今のところ大丈夫なようだ。何事も、行き着くとこまで行かないとわからないのも確かだ。まだ鬱になっていないので、もっとがんばれる可能性もある。

しかしこのくらいにしとこう。ぼちぼち走り続けよう。あんまりとばしこんでも、反動が大変だ。
いや・・・今すでにとばしこんでいるのだろうか。たまり溜まったストレスが、一挙に爆発する日を待ち構えているのか。

やっぱり自分にはわからない。
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by takeyabubass | 2005-12-13 21:45 | なんとなく

公園のロハ台

くそう!!

書いている途中に誤って消してしまった。
そんなときもあるさ。

もういちど書く暇もない。
ただ努力をしたという痕跡だけを残して、もう寝るとしよう。
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by takeyabubass | 2005-12-13 00:19 | なんとなく



架空の人物「竹やぶ」のブログです。書いてある出来事はフィクションです。論や思想も、架空の前提をもとに展開されているため「筆者の意見」という訳ではありません。
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