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カテゴリ:思想( 39 )

暴走

全く方向性の違ういろんな能力、はなれ小島のようにぽつんとある特技、あるいは人前で見せるに値しない程度の技術・・・

そのような一見ムダに見えることも、意欲的に伸ばし、深めていけばどこかでつながるものである。渾然一体となって全く新しいものが生まれたり、お互いに支えあって1つの大きな作品を形成したりする。我々は無限の空間の中にいて、どっちにのびてもいいのだ。

個性を伸ばし、人生を楽しもうぜということだ。
どんな能力も、方向性や大小に関わらず自分の一部となるなら、自分がそのときにやらざるを得ないことを一生懸命、やっていればいい。何でもしていいなら、好きなことをやればいい。そして、思いっきり楽しむといい。得意になって手に入れた能力を使いまくればいい。さまざまに組み合わせたらいい。

今僕は、混沌としている。新しいものがぐちゃぐちゃに、どんどん入ってきている。吸収期を極めている。農業では、日々の剪定・摘果・施肥・防除・収穫・経営など全て半人前で、日々試行錯誤の連続なのに、その上選果機を導入したり、達人の畑にショックを受けたり、石垣をつんだり、もう和耶クソである。さらに近頃ブームの家庭教師では、二人の少年と向き合い、日々新たな発見をさせられるとともに国社数理英とその教育法の膨大な知識が無秩序に流入している。さらに美しい画像を撮ってHPのコンテンツを作るべく、デジカメ関係の機器や参考書を買い、少しずつだが実践している。

ただ弾き語りとブログだけは安定している。これらは、「身についた」といっても差し支えない。身につくとは、すばらしいものを生み出せるようになることではない。何のストレスもなく、やりたいときにさらっとやれるようになったということだ。
文章を書くのも、はじめは試行錯誤の連続だった。その日に読んだ本がいきなり自分の文章に影響を与え、不自然極まりないモノしか書けぬ日もあった。だがそれも落ち着いた。

「国社数理英」が「みにつく」のはもう少し先である。デジカメ撮影が身につくのは、もっとずっと先である。「教育」が身につくのは、さらに先の話だ。農業が身につく、つまりさらりとに食いモンを作れるようになるのは、もっとずーーっと先である。だが一度身についたものは、そう忘れない。腕でもちぎれない限り、しばらく弾かなくてもギターは一生弾ける気がする。中学・大学時代にやった卓球をこの間やったらできた。しばらくのっていないが、自転車にも乗れる。それと同じだ。身についた技能は、基本的に増える一方なのである。どんどん増えていくのが、楽しくて仕方ない。

さらに文章+画像+食いモンでHPとか、弾き語り+文章で気の利いたスピーチとか、農業+家庭教師で安定した収入とか、農業と教育で食農教育とか。パッと思いついただけでも、実用性のあるものがいっぱいある。さらに「農業」の中身も、無数に細分化できる。組み合わせははさまざまな次元で、無限に出来ることがわかる。

N個の能力の中から2つを選んでできる組み合わせは、
N × (N-1) 通りである。能力が10個あれば、90通り出来る。
3つの組み合わせは、
N × (N-1) × (N-2) 通りである。能力が10個あれば、720通り。
a個を選んで出来る組み合わせは何通りか。 (高校数学の基礎)
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by takeyabubass | 2005-11-04 00:18 | 思想

ショック → 新境地

今日の午前、農協の主催で、いわゆる「達人」の畑を見学してきた。といっても車で2,30分の圏内である。4箇所見てきた。うち2箇所は圧巻だった。

平地である。木と木の間隔が広く整然と並んでいるので、作業性が抜群に良い。畝を立てて、水はけをよくしている。防風ネットで畑を囲んでいる。至るところでヒモによる枝の誘引をしている。すべからく株元をしめたマルチ栽培である。実が柔らかく、群状になって浮き皮がない。カメムシや蛾や裂果によって木の上で腐った実がない。皮が柔らかく、きれいな「みかん型」をしている。フツ元まで真っ赤に熟している。大きさにバラつきがなく、Mサイズが中心である。摘果した実をマルチシートの上に放置せず、畑の外に持ち出している。極端な豊作、不作がない。残念ながら食べさせてはもらえなかったが、全ての条件が「このみかんは非常にうまい」といっている。僕にも、それくらいはわかる。

総じて、「徹底的に管理された空間」である。だからそう広い面積はできない。みんな10aから20aだった。おそらく手をかける園地とかけない園地を分けており、今日見たのはその人が一番力を注いでいる畑だろう。にしてもすごかった。
それでいて、栽培面積は梅のほうが広く、総面積も僕よりかなり広い。つまり何十年も本気でやってる人と、かけだしの上独りよがりでのんびりやっている僕との実力差が、そこにありありと横たわっているのだ。

まずショックを受けた。僕はザコだと思った。昨日まではそれでいいやと思っていたのに、急にそれが虚しくなった。つらくなった。あまりのショックに、昼休みは寝込んでしまった。1時過ぎに目が覚めて、赤い目で、悶々としながら軽トラにのり、一人畑に向かった。バレンシャの摘果である。


風が冷たい。木の肌は暖かい。日光は、寂しげな秋の色を帯びている。
樹齢80年の老木に登っていつものように仕事をしていると、だんだん気持ちは落ち着いてきた。自分が虚しいのではなく、彼らがとてつもなくカッコイイのだと感じ始めた。そう、夏目漱石やアンドレア・ボチェッリに対するような思いである。月並みな言い方をすれば「尊敬」である。

農家も、表現者であると言う点では彼らとなんら変わらない。僕も、歌や文章を好んでやるところを見ると、表現者の端くれである。これまで「農業は表現である」と実感したことはなかった。特に最近は、「生活に必要な金を得る手段」に堕していた。僕はもうけに対してはさほど執着していないので、自然、農業に対する考えもそう苛烈ではなかった。

しかしよく考えてみると、「うまいみかんが作れる」というのは、めちゃくちゃかっこいいことである。全部が全部そうでなくてもいい。たとえ10aでも、自信を持って人に食わせられる畑があって、それを食った人が「すげえ」と感動したなら、それは大きな喜びである。今の僕には、未知の喜びである。

「それをやりたい!」と、強く思った。
ひろがギターを弾くのを見て、大学4年のとき僕もギターを買い、練習を始めた。ボチェッリを見ながら歌の練習もした。一日に少しずつそれを続けた結果、姉の結婚式には、多くのお客さんが絶賛しプロの目にもとまる演奏ができた(お世辞もあろうが)。そういう経緯があるから、農業でも時間をかけたらできるはずだと思った。

誰かに、僕のみかんを食べさせたい。そしてうまいと言わせたい。
諦観の境地から反転して、あくなき欲望へとつきすすむモードに入る予感である。諦観も悪いことではない。こういう時期も必要である。陰と陽は表裏一体である。より深い諦観の念をもつものは、同時により強い衝動を、同じ心に宿すのである。
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by takeyabubass | 2005-10-27 18:14 | 思想

ありときりぎりすの話を知ってるかい?

夏に一生懸命働いたアリは冬を越せて、遊んでばかりいたキリギリスは死んでしまったというお話。「一生懸命働きなさい」という訓戒がこめられているのだろう。

しかしこの話には続きがある。

この話を聞いた、一匹の若いキリギリスがいた。名を鉄幹(てっかん)と言った。彼は、「先人の轍を踏むまいぞ」と一念発起し、周りのキリギリスが遊んでくらす夏の間、額に汗して食糧を蓄え、寝床をこしらえた。来る日も来る日も独りで穴を掘り、干し草を作った。そしてついに、立派な寝床と5か月分の食糧の備蓄ができた。彼は満を持して冬を待った。

しかし冬の訪れとともに、彼の体は次第に弱っていった。11月のある朝、彼は一生をかけて作った寝床の中で、大量の干し草に囲まれて死んでいた。

鉄幹の手記にはこうある。
「10月25日 さむくて動けない。食欲もない。死がちかづいていることが分かる。
働くことは善、遊ぶことは悪という風潮を正しいと信じ、私は働き続けた。自分がキリギリスであることを忘れて、アリたろうとした。しかし所詮は無駄な足掻きで、どうがんばっても冬は越せなかった。
先祖は正しかった。キリギリスはキリギリスらしく夏を謳歌し、冬の到来とともに死ぬべきなのだ。キリギリスである私が、アリたろうとしたことが悲劇の始まりであったのだ。

このお話が与える教訓は、うってかわってこうなる。

自分らしく生きよう―


しかし鉄幹の手記には、こうも記されている。
「11月3日 床に臥して2週間になる。いつ死んでもおかしくはない。あれから体は、衰弱する一方である。もはや何の望みもない。
しかし、心は日一日と安らかになっていく。以前は、アリたろうとして一生を棒に振ったことが悔やまれて仕方なかった。なんで自分を偽って、こんな一生をおくったのか、と。
しかし床に臥してのち、必死だった当事を思い出すと、そこにいる自分はなんとも美しい。今、寝床の横においてある干し草も、全て私が摘んだものだ。保存法など全く知らなかった私が、試行錯誤を繰り返してこれだけの偉業をなしたのだ。一生を通じて、私は希望に満ちていた。虚しさを感じたこともなかった。充実していた。
それで十分ではないか。そしてこの静かなる、干し草と土のにおいに満ちた薄暗いねやで、こうして死んでゆくのである。なんという安らかな気持ちであろう。
私は私であった。「アリたろうとするキリギリス」、それが私なのだ。私は力の限りやった。輝きに満ちた生涯であった。今となって、なんの悔いることがあろう。」

これが強がりでないことは、彼の死に顔が証明していた。安らかな死に顔だった。
この童話には、もはや何の訓戒もない。


どんなに悲壮に見える生き方でも、周りから見ておかしくても、全ての人が必ず訪れる境地がある。

「諦観の境地」。

ここに達すれば、全てを受け入れられる。どんな自分にも納得できる。あらゆる苦悩は解決する。

要するに、我々には声を大にして世の中に伝えるべきことなど何もないのだ。おのおのが、その人生の中で必ず「諦観」に行き着く。ならば、苦労して変えねばならぬことなどこの世には何一つない。説話など、不要である。教育もしかり。
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by takeyabubass | 2005-10-22 22:03 | 思想

突撃!ナルシスト

レツゴー 悦に入ろうぜ 
夢で見た夜明け まだまだ遠いけど


明日、消防団のつり大会がある。はっきり言って超めんどくさい。普段つりをしない上、メンバーとも特に仲良くはない。さわやかな秋風の中、いつものように畑仕事をするほうがよっぽどいい。ちなみに参加は自由である。

だが僕は、敢えて行くことにした。理由は、「行きたくもない釣りに仕方なく行くオレ」を演出したかったからである。吹きすさぶ波しぶきの中、適当に釣り糸をたれて、海辺に座って、何か考えたりボーっとしたりしてみよう。魚を釣る気など、初めから皆無である。メンバーに何か言われても、適当に笑っておこう。

釣りに行くには、いろんな道具が要る。今夜、それを買いにいってきた。
まず釣竿。これは、先輩のいらんやつをもらうことにした。リール1500円。針140円。救命胴衣2400円。さおを立てる金具1100円。しめて5000円ほどの出費であった。全て、最も安い部類のものである。

「坊ちゃん」も、松山に赴任して間もない頃、赤シャツに誘われて釣りに行った。ゴルキしかつれなくて、手が魚臭くなったのでやめて寝た。僕も明日は坊ちゃんよろしく、やりたくもない釣りをしてこよう。

全くとんでもないナルシストである。「『行きたくもない釣りに仕方なく行くオレ』を演出して面白がっている俺」をブログに載せて楽しんでいる竹やぶであった。
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by takeyabubass | 2005-10-19 21:15 | 思想

漏尽

僕はどちらかというと、無為である。基本的には、富も家族も地域も国も、どうでもいいと思っている。他人の目も、どうでもいいと思っている。
だからちょっと前までは、誰にも迷惑をかけずひっそりと、自給自足をするような生活に憧れた。

「浮世から離れて、山奥でひっそりと暮らす」というのは、いかにも無為自然で、全ての欲望から解き放たれたようなイメージがあるが、実はそうではない。そこには、「わが身だけは世間に呑み込まれず、自由でいたい」というあくなき欲望があり、それを貫くためにはなみなみならぬ努力を要する。無為自然とは全く逆の方向である。

社会は有為を是とする。
富を得るため、家族のため、地域のため、国のために、あるいは危険を顧みず、あるいは苦痛に耐えてがんばる者が、世間では是とされる。
だから社会にでる前の僕は、「嫌だなあ、めんどくさそうだなあ」と想像し、その対極にあるらしき自給自足を夢見た。

しかし大学をでて農業を始め、地域のいろんな役を頼まれるがままに引き受け、そこそこにこなしているうちに、最近思い始めたことがある。それは、体こそ地域や周囲の人間に縛られてはいるが、別にそれは嫌ではなく、かといって楽しい!!というわけでもないが、まあ淡々と日々がすぎてゆくのである。それでいて社会の大筋にそむいていないから、要らざる争いをせずともよく、特に我慢をすることも無い。

あえて自給自足などというとっぴなことをしなくてもよい。どんなに面倒に見える世界でも、入ってみれば、慣れてみれば様式・外観が違うだけで本質は同じである。
だからこれまで乗り気でなかった結婚や子を持つことも、何てことはないんだろうと思うようになった。むしろ「いつまでも独り身で・・・」とさしでがましく口出ししてくる隣人を、そのつど退けながら独り身を保つことこそ不自然で、面倒である。

世は、無常である。「こうしておけば安泰」という身のおき方など、どこにも無い。であるなら、無常なる世の中を受け入れるまでである。この世は変化する。大きな変化もあれば、小さな変化もある。しかしどんな変化も、時がたてば必ず慣れる。慣れる間もなく変化が続くようでも、「変化の連続」になれることができる。

本当に楽な道は、無理して世の中と自分を切り離すことではなく、とめどなく変わりゆく世の中を、こういうものだと受け入れることだと思う。

行き着く先は、「凡人」である。
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by takeyabubass | 2005-09-28 18:53 | 思想

題名に無頓着

趣味は、自分のためにするものである。
仕事は、人の役に立って、人からお金をもらうためにやる。

やりたいことをやってそれが人の役にも立ち、自然と生活も成り立つというのは、理想的だが非常に困難である。だが求めるべき生活のレベルをどんどん下げていけば、やってやれぬこともないと思う。

しかし生活水準を下げるというのも、なかなか困難である。世間では、「社会人としては、これくらいの収入がなくてはならない」というジョーシキなるものが幅を利かしている。都会ではそうでないかもしれない。隣人がどんな生活をしていようが、無関心でいられる人たちがほとんどだろう。しかし田舎は違う。破れた服を着ていたら、さも自分の恥でもあるかのように隣人がそれを指摘する。子供に義務教育しか受けさせないなど、もってのほかだと言われる。

みんな、他力本願である。他人に求めるものが多すぎる。他人を自分の意に沿わせようと躍起である。それがかなわぬ相手を非常識と罵る。口では言わずとも、そう思っている。
無視してできぬことはないが、そうすると必要以上に迫害を受けそうな気もする。もしかしたら僕の被害妄想かもしれない。勇気を出して突っぱねてみたら、案外それでもうまくいくかも知れぬ。

ふと、都会のほうが気楽なのではと思うときもある。
都会でホームレスをやっていても、「ああいう人もいるよね」とたいてい、ちらと見て終わりである。田舎でホームレスをやったら、それこそ衆人の格好の話題となり、学校では「通学路に変人がいて問題である」などと職員会議で取り上げられ、近隣のものはわが恥のように心を痛めるだろう。

田舎は人が少ない上、隣人の顔ぶれは生涯変わることがないので、みなやたらとコミュニケーションを重視する。4年間大学に行って、孤独な1人暮らしに慣れたる身には少々なじみがたいが、郷に入れば郷に従わねば、自分がだんだんと不幸になって行くのは経験上明らかなので、不本意ではあるが、また少し自分を変えねばなるまい。
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by takeyabubass | 2005-09-24 08:28 | 思想

決意を新たに!

個性は、自分をとりまく社会からの最低限の要求にこたえた上で、発揮していくものである。「それが普遍的だ」と言っているのではない。そうしないと、僕自身が幸せでいられないというだけである。だが、「社会に対して、最低限これだけやっておかねば負い目を感じる」という気持ちは、程度こそ違えど誰しも持っているように思う。そして、今の自分がそのラインに到達していないと思い知らされたとき、初めて「ああこれじゃいけない」と思う。社会に対して負うべき責務を負わねば、どう自分に言い訳しても、泰然としていられないのである。

僕はともすれば、自己満足の殻に閉じこもり、社会のありようを無視してつっぱる癖がある。まあ個性はその中で磨かれていくようなので、あながち悪いばかりではない。しかしそこで、ふと重大なミスをしたとき、社会的な最低限なことができていなかったことに気づかされる。「これじゃいけない」と激しく苦悩させられる。そうなったら個性を磨くことをしばらく中断し、社会性を磨く努力をせねば事態は好転しない。


仕事で大きなミスをした。農薬のやり方を間違え、薬害が生じ、木が枯れそうである。それも仕方ないミスではなくて、ほんの初歩的なものである。不注意である。
その前までは、「自分のやり方で行けばいい」「生産も販売も、自分のペースでやっていけばいいや」とのんきに構えて、毎日夜更かししてパソコンに向かっていた。1時2時に寝て6時におきる毎日が続いた。夜は消防の訓練が毎日あった。ヨーロッパ旅行以来、一日の休みも無い。どこかにひずみが生じないはずは無かった。このミスは、起こるべくして起こった。
そしてこのミスは、自分の中で完結するものではない。少なくともCEOには迷惑をかけたことになる。

ああ、これじゃだめだと思った。まず、寝なければだめだ。そして気を充溢させて、仕事に取り組まないといけない。最近は時間だけこなして、仕事の質が明らかに低下していた。十分真面目に働いていると思っていた。だが違った。だって、他の農家はこんなミスをしていないのだから。

この経験を、生かしたい。
早く寝よう。疲れていてもさっさと洗い物をして、風呂に入ろう。
書き込みは、短い時間でさっと書こう。文章を書き続ける上では、そういう能力も大事である。大作は、時間のあるとき書けばよい。

それではこれにて。おやすみなさい。
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by takeyabubass | 2005-09-23 21:50 | 思想

ヨーロッパより、ただいま帰りました。

壮大だった。
心が和んだ。
多くのことを知った。
自分について、いろいろ考えた。
握手が堅かった。
町を行く人がおしゃれだった。
女性がせくしーだった。
タケチャンの思想を知った。
どの国も、悩んでいる。
でも、がんばっている。
農業だけでなく。
過去の伝承のために。
自己の確立のために。
そして、よりよい未来を創るために。

僕も、がんばろうと思った。
目先のことにがむしゃらになるのもいいけど、
もう少し落ち着いて、深い部分でがんばりたい。

材料は、まだぜんぜん足りない。
世界を感じれば感じるほど、自分が広くなっていく。
できるだけ広い世界の中から、自分に合った道具を見つけて、日々自分を再構成していきたい。
地域のためとか、農業のためとか、そういう線的な思考にとらわれないほうがよい。地域政策も農業も、自己表現の一環に過ぎない。それらは単なる舞台設定である。表現手法である。そういうものを目的化したらつまらなくなる。
それらを通して、いかに自分を、強く美しく輝かせるか。それが目的である。狭く薄暗い帰りの飛行機の中で僕は、そんなことを考えながらうつらうつらとしていた。

続く。
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by takeyabubass | 2005-09-09 12:43 | 思想

気の赴くままに書けば

やはり、自分のページというのはいい。自分の居場所が、一つ増えた。過度に入り浸るのは危険だが、仕事や役目を終えてここに来ると心が和む。

自分ひとりである行為自体を楽しむことを「小さな自己満足」、行為によって人に影響を与えたり、人から賞賛されたりして楽しむことを「大きな自己満足」と、僕は定義している。ここでいう「大きい」「小さい」は優劣を示すのではなく、他人を含むか含まないかということであり、単なる範囲であり、属性である。また一つの行為をどちらかに割り切るのではなく、相対的に位置づけている。

N-style時代から続くこの著述は、比較的「小さな」自己満足である。少しずつたまっていく自分の書き込みを眺めるのは楽しいものである。
しかし全く自分だけ、というのもときどき寂しくなる。だから細々とではあるが、あえて世界からアクセス可能なところで行っている。

小さな自己満足の姿勢は崩さず、僕の生み出すものを気に入ってくれる少人数の人々とともに生きる。他者に迎合して自分を変えるよりも、ありのままの自分を受け入れてくれる世界の中で生きていく。竹やぶと周囲とのかかわりを冷徹に観察すると、竹やぶはそういう風に生きている。理想、という訳ではない。元来怠け者なので、自然そうなるのである。このブログだけでなく、農業にも、音楽にも、地域の活動にもそれはあてはまる。

インターネット社会の成熟とともに、そういう生き方がより可能になるだろう。日本語の壁を越えることはさすがに難しいが、国内なら、どこに住んでいても個人と個人が容易にアクセスできるのである。産業の形態も変わる。「自営業で、全ての人が必要とする食物を作っている」農業なんか、もっともネット社会の影響を受けやすいと思う。ただ多くの農家は栽培・経理・人事などを全て1人でせねばならんから、ネット環境を整える暇がないのが実情である。

僕がもし、周りの多くの若い農業者と同じように、親父が経営主でバリバリ働いているとしたら、絶対にネット環境の整備にもっと力を入れる。惜しむべくは、祖父の引退とともにギリギリで農業を引き継いだために、経営主や地域の一員としての重責が、一度に双肩にのしかかってしまったことである。しかし何とかかとか、IT化の方向もちゃんと進めてはおる。

先日、地域のIT化をテーマとした、さるシンポジウムに参加した。地域のITインフラ整備に関して、行政や企業、地域マネージャーたちが熱く意見交換していた。さまざまな課題はあるが、地域でのネット人口もこれから増えていく方向だなと思った。クルマ社会が人の住むところ津々浦々にまで発展したように、戦争や恐慌さえなければ、ネット社会も同じように発展するのではないか。

僕が描く経営体の像の一つ(いくつかある)に、ネットを媒体として消費者と直接つながり、年間を通して多品目の農産物を供給する、というのがある。しかし全国の消費者とつながれるとは言っても、輸送費の面でやはり地理的に近いほうが有利である。だから相手は自然と、近隣の非農家ということになろう。理想は自分の車で配達できる範囲である。(もちろん輸送費を払ってでも買ってくれるなら、遠くても発送いたします)
また所詮ネットは通信手段や出会いのきっかけにすぎず、人と人とのつながりが基本である。実際に出合った人に自分のサイトを教え、僕が何を考え何を作っているかを知ってもらい、気に入ったら取引してもらうのが理想である。従って取引人数もそう多くならず、自然「自給的農業+少人数の顧客」となり、これが先に述べた、僕の生き方に即した経営体である。


話題が発散しすぎて疲れた。この続きや、途中の一つ一つの話題については、頭の整理がつき次第掲載していく。

今日は終わり!
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by takeyabubass | 2005-08-31 22:11 | 思想



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