ヤブログ本館
2006-09-13T15:10:21+09:00
takeyabubass
架空の人物「竹やぶ」のブログです。書いてある出来事はフィクションです。論や思想も、架空の前提をもとに展開されているため「筆者の意見」という訳ではありません。
Excite Blog
テレビに親しむ
http://takebass.exblog.jp/4145885/
2006-09-13T12:34:00+09:00
2006-09-13T15:10:21+09:00
2006-09-13T12:34:41+09:00
takeyabubass
なんとなく
最近ので印象に残っているのは、清水の次郎長。水戸黄門。忍たま乱太郎。おじゃる丸。野球中継、クローズアップ現代。
小沢代表の記者会見は、退屈すぎて見るにたえなかった。「国民生活の向上」ではなく「政権交代」を第一義とする党に、私は用はない。
一連の、皇室に関するニュースを見て思ったことがある。自分の沿うべき男がどの程度であれ、彼に寄り添って世間にたてつかず、生物としての喜びや苦しみを素直に受け入れる女性は、深い魅力を持っているということ。
今日の午前、ごろごろと体力の回復を図っていると、「はぐれ刑事純情派」が始まった。小学校を舞台としたストーリーだった。日ごろ家庭教師や農業体験をとおして子供に接しているので「学校」「子供」「教育」などのキーワードには敏感である。つい興味を引かれ、最後まで見た。これが意外と、おもしろかった。
誇張もあるが、今どきの子供たち、今どきの親、今どきの教育が典型的に描かれていた。学級崩壊を呈している六年生のクラスがあった。その担任(女)が、何者かにベランダから植木鉢を落とされ、意識不明の重体となってしまう。
犯人は、同じクラスの前年度の担任(女)だった。彼女が担任だった頃は、そのクラスは崩壊していなかった。しかしそれは担任が子供たちを必死に押さえつけていたからで、生徒は内心教師を憎み、教師もストレスで学校に行けなくなり、6年生に進級するとき担任を辞退した。その代わりを新任の教師が勤めた。一年前の反動もあり、クラスは全くまとまらなかった。しかし生徒一人一人は見違えるように生き生きとしてきた。生徒も先生を好いた。
それを見た旧担任は、新担任を妬み、生徒がやったように見せかけて、植木鉢をベランダから落とした。
ストーリーの重点は、犯人探しよりも現代の学校教育への問いかけであった。子供に規律を身に付けさせようとすれば教師はストレスで苦しみ、子供を許容すればクラスはまとまらず、親から苦情が来る。物語は、「躾も学問も全て教師に任せすぎるからこういうことになるんだ、俺たち親がもっとその責任を負わねばならん、」と犯人扱いされた生徒の父親(はぐれ刑事の部下)がクラスの父母の前で発言して終わる。
その後はぐれ刑事(主人公のこと。名前は知らん)が「人間ってものはな、何が正しいか分からないのが普通なんだ。何をやってもな、常に自信がないのが普通なんだ。」と訓示をたれ、部下と酒を飲む。これはつまり、「自信を持って『これが正しい』、なんて言うこと自体がおかしいんだよ」という意味であり、それはそのまま、現代の学校教育の難しさを物語っている。
僕は漠然と、小中学校の教師は大変なんだなと思った。そして自分にできることは少ししかないが、僕が教えるべき二人の生徒だけでも、社会とその子ら自信の幸せを両立できる方向に引っ張ってやれたらなと思った。そのためには少なくとも、自分がそれをできていなければならないとも思った。そしていつか生まれるだろう自分の子供を責任を持って育てることこそ、社会人として最低限の務めだなあと思った。
サスペンスも、不幸な未来のシミュレーションとしてみるならそう悪いもんじゃないよ。
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周りにおらんけど、とりあえず若者よ。
http://takebass.exblog.jp/4014596/
2006-08-19T18:16:00+09:00
2006-08-19T18:19:03+09:00
2006-08-19T18:16:04+09:00
takeyabubass
未分類
奇抜な夢など、持たないのが普通だ。かわいそうな「イイコ」は、親や先生から脅迫されていかにも夢らしいことを言っているが、大方は作り話である。その作り話に自分を沿わせようと無理している子供も多い。
そしてスポーツ選手とか、タレントとか、IT企業家とか、別に社会に無くてもいいような職業の夢がもてはやされる。お前はテレビしか見ていないのかといいたくなるような夢である。周りを見れば、いろんな職業があるのに。
「狭き門」に立ち向かうことを奨励しすぎである。狭き門とは、放っておいても誰かがやる職業だ。僕は若者に言いたい。「広き門をめざせ」と。つまり誰もやりたがらない、金にならないが社会にとって大事な仕事を見つけて、そこを攻めろと。
そういう職業は、きらびやかさなどまるでない。親がやってでもいない限り、子供の目には触れない。社会を知り、いろんなことを深く考えるようになって初めて見えてくるものだ。小学生や中学生に、夢を持つことを強制してはならない。大人の想像以上に子供たちは、企業が意図的に流した電波に洗脳されている。そんな状態で持つ夢などろくなものではない。
そうだなあ、中学生くらいまでは、親の言うとおり勉学や学校行事に励んでいればいい。公害電波に負けずに子供を正しいほうへ誘導するのは親の役目である。そして、高校を決めるからといっていきなり、むりやり夢など決めなくていい。どこの高校へでも行きたまえ。そしてやっぱり、しっかり勉強したまえ。そして落ち着いて世の中を見渡せば、自分の周りにも必ず、「自分にもできること」が見えてくる。高校生でそれが見えないなら、大学に行きたまえ。ただし、「じぶんにできること」探しは本気でやらねばならん。これがないなら、生きていてはならぬ。
「身の回りにある、自分にできること」。これがあなたの職業だ。手近な道を選ぶことはすばらしいことだ。夢と現実を突きつけられて、現実を取れる人は尊敬に値する。社会の大部分は、そういう人たちが支えている。
つかれた。おわり。
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ムダ記録
http://takebass.exblog.jp/3885714/
2006-07-27T13:36:00+09:00
2006-07-27T13:38:54+09:00
2006-07-27T13:36:12+09:00
takeyabubass
思想
しかる後、青年部の幹部たちから過度の接待を受けた。料理屋でたらふく食べた後、カラオケバーのようなところに連れて行ってもらった。ホステスは着飾ってタバコをふかし、こちらが話さないと決まり悪そうにしていた。ああ面倒くさい、プロだろうが、場を持たせろよと思いつつ、どうでもいい話題を提供する親切な竹やぶ。人の車できているので、「つまらんから帰ります」とも言えず、最後のほうは座禅を組んで瞑想していた。帰ったら11時だった。もう懲りたので、今後は一次会で退散しよう。
わが市が多大なる血税を投入して行う夏祭りに参加した。「おかさ」という巨大な木の車を、大勢の若者が朝から晩までかけて、町中を引き回す。苛酷な労働である。ピラミッドの石を運ぶ奴隷のような感傷に浸りながら、陽炎の立ち上る炎天下の中、丸二日間やった。おかさは全部で9台ある。夜は神社に集結し、ライトアップをして、夜店や人ごみの中を行ったりきたりする。町の経済規模に対して祭りが大きすぎるきらいがある。生活と祭りはバランスをとるべきなのに、不景気な商店街が無理して祭りを続けている。何かしら悲壮であった。
新聞に、「正しい慣用句を使えない人が増えていて問題である」との記事があった。その根拠となる細かなデータも載っていた。いったい誰が、何を考えてそんな調査をしたのか。「俺は正しい言葉を知っているぞ!」と自慢したいのか。それとも無理やり問題をでっち上げないと食っていけない輩か。
多くの人が手軽に使えない時点で、慣用句としての価値はない。死ぬべき言葉は死に、変わるべき言葉は変わればよい。そんな瑣末をあげつらって「問題である」だなんて・・・。
「文化」という大義明文を盾に、あまりにも多くのムダが許されすぎる風潮がある。それは日本が爛熟している証でもある。日本は、おおいなる酔いどれの国である。]]>
強烈な思い
http://takebass.exblog.jp/3699904/
2006-06-25T21:41:00+09:00
2006-06-26T07:11:07+09:00
2006-06-25T21:36:51+09:00
takeyabubass
思想
という言葉がある。夏目漱石が好んで使っていた。出典は定かでない。読んで字のごとく、「つたなきを、まもる」ということだ。諸芸において、下手なのが良い、という考えだ。僕も大いに賛成である。
何かにつけて、上手いものが優れていて、下手なものが劣っているという考え方が常識なので、ある程度は不本意ながらも合わせているが、僕の根底にも守拙の念がある。
いや、功より拙が優れているというのではない。功も拙もない、そこに君がいて、僕を認めてくれるのなら、それはもう絶対的な価値である。しかし世の中は功なるものを優遇する。守拙というのは、「そうではない、存在はみな、絶対的な価値だ」という意地である。
功なるものを礼賛せず、また自分もあえて拙なるものをさらけ出すことで、価値観の画一化という流れに抗っているのである。でなければ、僕はより功なるものに支配されるであろう。人から認められようと、より高いところを目指してがんばっている人は僕の敵である。
理想とは、人に迷惑をかけず、自分の中だけで追い求めるべきだというのが成熟した大人の考えだと思われる。]]>
成長を断片的に記す
http://takebass.exblog.jp/3683038/
2006-06-22T23:40:00+09:00
2006-06-22T23:42:07+09:00
2006-06-22T23:40:21+09:00
takeyabubass
未分類
高校時代、「自然」は「人工」の対義語に過ぎなかった。
そして、自然物は清らかで、人工物は不純であると決め付けていた。できるだけ人の手の入っていない山奥に好んで行ったり、自給自足を夢見たりしていた。
大学で、われわれの住む世界の様々な法則について学んだ。それから、「人間も、自然の一部である」と思うようになった。人工物も、とどのつまりは自然物である。「僕の意思では動かせないもの」を、自然と呼ぶことにした。つまり自己以外は、木も、石も、犬も、家族も、日本も、質量保存の法則も、みな自然というわけだ。
大学を卒業して、農業をやった。農業とは、人間以外のものたちとの対峙である。草木や、虫や、獣たちとの戦いを通して、「やはり人間と、動物や草木や石を一絡げに捉えるべきではない」と思うようになった。かといって高校時代の定義に戻ったわけではない。
高校時代、自然は無垢で、人間は汚れていると思っていた。確かに動植物は無垢である。しかし無慈悲で、無感情でもあるのだ。それにひきかえ人には、愛情があり、いたわりがある。
言葉を厳密に定義せずに話を進めて申し訳ない。しかしその面倒を冒すだけの気力がない。続ける。
僕もまた人間であるという自然。それを受け入れた。人間はまた、人間と暮らすのが自然であるということも。
かつて変遷したこれらの定義を、僕は自在に使い分けることが出来る。言葉は、経験を増すごとに広がっていくものだ。いや、あいまいになっていくとも言える。
はい、終わり!]]>
プーさん恐怖説
http://takebass.exblog.jp/3662483/
2006-06-19T20:08:00+09:00
2006-06-19T20:09:59+09:00
2006-06-19T20:08:27+09:00
takeyabubass
なんとなく
彼は、自然の大木を利用した家に住み、主に蜂蜜を採集して暮らしている。
自給自足か、蜂蜜を売った金で生活をしているのかは分からないが、一人である。
僕自身、自給自足をしようと思っていた時期があった。人中で暮らすのが不自然だから、人里はなれた山奥で自然なくらしをしようと思っていた。だが自給自足こそ、不自然の最たるものだとの結論に至った。
プーの家には、様々な道具類がある。壺、戸棚、扉、洋服。
彼はこれを、自分で作っているのだろうか。とすれば驚嘆に値する。蜂蜜を売った金でそれを買うにしても、並大抵の生活力ではない。そういう生活をしていれば、日々の苦労が深いしわとなって、日に焼けた顔に刻み込まれているはずである。あるいは頑強な肉体に鋭い目を有していてもおかしくはない。
しかしプーは、かかる過酷な暮らしの中にあって、あのとぼけようである。
「僕はなにしにきたんだっけ?」
「風のつよい日、おめでとう。」
などと、少し高めのおじさんの声でしゃべるのだ。
辛酸をなめ尽くして、あの境地に行き着いたのだろうか。
彼の本性が見えない。本当は、かわいい熊の皮をかぶった老子ではないのか。
僕はプーさんが怖い。]]>
昨日と同系統
http://takebass.exblog.jp/3587106/
2006-06-07T18:30:12+09:00
2006-06-07T18:30:12+09:00
2006-06-07T18:30:12+09:00
takeyabubass
未分類
教育は学校が、
小売はスーパーマーケットが、
政治は政治家が、
建築は建設会社が、
医療は病院が、
一手に引き受けたほうが効率的だという考え。身の回りのことをつぎつぎと専門家にアウトソーシングして、自らも何かの専門家となり、家計を立てるという風になった。
巨大な業界にはやがて、「素人は口を挟むな」という風潮がはびこり、客観的な目は失われて、腐っていく。腐った組織は、何も知らない素人から高額な金をボッタくるばかりで、成長することなくただ命脈を保つ。
専門家にだまされてはならぬ。
腐った組織を頼ってはならぬ。
また専門家たるもの、常に清廉でなくてはならぬ。
「子供を一人育てるには、1000万円かかる」とよく言われる。そんな「通説」を、鵜呑みにしてはいけない。大方、保険会社か教育関連企業が素人からボッタくろうと流布しているようなものだ。こんなものを標準にしたら、大半の若者が怖くて子供など作れない。
今の教育状態が、「正常」とは思えない。こんなにも費用がかかるのは、アウトソーシングしすぎるからである。低学歴でも社会から必要とされる人間に育てられるのなら、無理して大学まで行かせる必要はない。
若者よ、誰かが流した通説に踊らされることはない。自分を信じ、自分が大きくなればよいのだ。
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重要なこと
http://takebass.exblog.jp/3577438/
2006-06-06T00:55:30+09:00
2006-06-06T00:55:30+09:00
2006-06-06T00:55:30+09:00
takeyabubass
思想
ゲームでは、一つ有利な方法を見つけたら、そればかりやればいい。最高レベルの魔法を覚えたら、基本的にそればかり使えばいいのだ。「氷系の魔法ばかり使っていたら、最近冷え症になって・・・」などということはおこらない。設定されていないパラメータは、「減らない」のが原則なのである。だから飲まず食わずで、永遠に走り続けられる。
現実ではそうはいかない。一つの方法だけに頼っていると、ひずみが出てくる。
雑草の管理には、いくつかやり方がある。
除草剤が楽だからと、そればかりやっていたら土がやせてくる。畑が侵食されていく。木が角ばってくる。ヘクソカズラや潅木ばかりが増えてくる。
草刈をやるにしても、コードソーばかり使っていると茶やビシャコだけが徐々に勢力を増してくる。時には重たくても、チップソーを使わねばならない。
現実では、「減らないパラメータ」はないのだ。
ある空間の均衡を保つためには、あらゆる角度からのアプローチが常に必要なのである。
何事も、ゲームの様に特化しすぎてはいけない。
焦点を、絞りすぎてはいけない。
遠大に、余裕を持って、構えていればいい。
一見不合理なことでも、自信を持って続けてよいのだ。]]>
ムダムダムダムダ・・・!!
http://takebass.exblog.jp/3577033/
2006-06-06T00:30:00+09:00
2006-06-06T00:31:50+09:00
2006-06-06T00:30:05+09:00
takeyabubass
思想
本当に必要なものを選んで、無駄な売り場を整理したら、もっとすばらしい町ができよう。
近所には、本当に必要なものだけを、古びた小さな木の家に効率よく納めている店がある。夫婦が営む日用雑貨店である。
結婚式の朝、白い靴下を用意し忘れていることに気づいた。「コンビニにあるだろう」と行ってみたが、黒い靴下か、白くてもくるぶしまでの、やたら短いものしかなかった。使えん。8時頃なので、スーパーは空いていない。「そうだ。あそこにはきっとある」と、その商店に行ったらあった。助かった。
除草剤を潅木の切り口に塗るために、細めの絵の具筆を欲しく思い、スーパーにいったが気に入ったサイズのがない。「あそこにはきっとある」と、例の商店にいったらあった。「絵の具筆、ないですか?」と聞いたら、細いのから太いのまで、箱から出してずらりと並べてくれた。感動した。この店には、何でもある。
一見狭いこの店のほうが、巨大なスーパーよりも品揃えがいいのはなぜだろう?今日、秘密が少し分かった。そこは、人が営む店なのである。コンビニには、人はいない。人に見えるのは、雇われたレジ打ちマシーンである。お客さんは、自分の欲しいものを自分で選び、レジに持っていくとマシーンがお金を受け取るだけの仕組みだ。よって品物は、全てお客さんに見えるよう陳列せねばならぬ。
その商店では、多くの商品は陳列されておらず、収納されている。そして、「何々が欲しい」というこちらの要望に従い、ご主人か奥さんが、棚からそれを出して並べてくれるのだ。だから狭い敷地内で、より多くの商品を扱える。
「人を使わないこと」が効率の良さの象徴の様に言われている。確かにその一面もあるが、偏りすぎてはいけない。人のかわりに希少な土地や資源を食い散らかし、技術を磨かぬ人そのものは腐っていく。ゆとりある空間を追われ、哀れな箱にぎゅう詰めになって暮らす。
僕は自分の生き方を通して、「人間革命」を世に提唱する。人間の持つ力をもっと発揮し、人の活動や、意識で満たされた空間を取り戻したい。自分がそうあるだけでなく、そういうところからものを買いたい。
いや、単なるギャグだがね。]]>
上等、下等
http://takebass.exblog.jp/3576751/
2006-06-06T00:00:00+09:00
2006-06-06T00:03:29+09:00
2006-06-06T00:00:23+09:00
takeyabubass
思想
彼が、私たちよりも下等な人間であることが判明したわけだ。
押しなべて、お金をたくさん儲けたがる人は下等である。少ないお金で幸せでいられる人こそ、上等である。なぜなら、社会の富の総和は急に増えたりしない。誰かがたくさんガメたら、その文誰かが貧しくなる。富は分け合うべきである。
お金をたくさん儲けて、その金で慈善活動をするというのも馬鹿げている。それまでの経済活動の罪をわびる気持ちで、「寄付させていただく」というならまだいい。己のバカさ加減を知るだけ優秀である。慈善活動をする自分を上等な人間と思い込んでいるやつは、救いようがない。虚名を求める、超下等生物である。
本当の慈善活動とは、誰にも恩を着せない。自分が生活できるだけの富を持って、残りのエネルギーを日々周囲のために使っておれば、大きな財産など出来るわけがない。それをしないから金がたまるのである。財産が出来るという時点で、社会にとってはマイナスの存在なのだ。金を持っているほど下等なのである。
僕は、上等な人間である。
なぜなら、毎日くたくたになるまで働いているのにお金は貯まらない。でも日々楽しく、幸せである。虚名に踊らされ、がめつく肥え太った醜い下等生物どもは、ぜひとも僕を見習うべきである。]]>
めまぐるい
http://takebass.exblog.jp/3564017/
2006-06-04T01:38:00+09:00
2006-06-05T18:58:10+09:00
2006-06-04T01:38:17+09:00
takeyabubass
未分類
二年間使った愛用の草刈機「陸遜」が、昨日壊れた。うっかりと吸気口にごみが詰まったまま運転させたため、エンジンの中のピストンが焼け付いてしまったのだ。致命的な故障で、修理には2万5千円を要した。これからはこまめに、吸気口を手入れしよう。
王平には、時給900円で来てもらっている。彼の草刈レベルは、かつてないスピードで上昇している。草刈を彼に任せて、僕は日ごろ思いつる畑の手入れに精を出している。石垣にはびこった茶の木やビシャコを切ったり、防風垣であるマキの木を剪定したりしている。また「又谷」と「大玉」にもイノシシ防護壁を築くべく、畑の周囲の潅木やつるを切り開いている。
「陸遜」のほかにもう一台、先代からの臣「徐晃」がいる。徐晃は身軽さや細やかさに欠けるが、計り知れぬ破壊力と粘りがある。パチ族やビシ族、チヤ族、サギ族といった異民族の武力制圧には、むしろ徐晃が適している。最近ようやく、彼の扱い方が分かってきた。
今年からはじめた中一の生徒、楠正成(以下マサシゲ)は、好調なスタートを切った。中間テストは3教科が帰ってきた。いずれも平均点とは10~20点の差をつけている。計算が得意で、暗記がやや苦手である。なので英語に力を入れた。初期の英語は、暗記することだらけである。
中一から見させてもらえると、非常にありがたい。常に学校よりも先に、学校よりも高密度な学習が出来る。特に数学は飲み込みが早いので、どんどん進んで一年生の範囲の半分を終えてしまった。とにかく進めるだけ進んでいる。そしてテスト前にちょこっと復習しただけで、96点をとりやがった。数学は以後もこのやり方で行こう。彼にとっての、立派な飛び道具に仕立ててやる。
家庭教師は、週に3人見ている。実は今年に入ってからも、2人断った。できれば引き受けたかったが、あんまり何人も詰めすぎるとテスト前などの融通が利かなくなり、一人一人に万全を期すことが出来ないと思ったのであきらめた。「プロ」と自称するには、まだ実績が足りない。今年一年も、一人一人を丁寧に見て実績を積もう。不動の実績と名声を得たら、お客さんには事欠かぬはずである。
網羅につぐ網羅。単なる日記である。しかし書かないよりはマシである。
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王平と俺
http://takebass.exblog.jp/3516152/
2006-05-27T20:12:00+09:00
2006-05-27T20:13:04+09:00
2006-05-27T20:12:17+09:00
takeyabubass
仕事
北斗の拳のアニメを3回見たと言っていた。拳四郎がくり出す技の名前を、たくさん言うことが出来る。ゲームボーイのSAGAⅢは名作だと言っていた。茶粥は好きではないらしい。休憩時間には、タバコをすう。「ジュウヤク」がどくだみを煎じたものであることを知っていて、おばあちゃんに感心されていた。
昨日は梅取りと選別を手伝ってもらった。明日は、雨で崩れた石垣を一緒に補修する。おじいちゃんの監修なしで、自分だけで石垣を積むのは初めてだが、やり方は記してある。王平と二人で、あーだこーだいいながらやろうと思う。
接ぎ木も、以前はかなり難しいことだと思っていたが、やったら出来た。多分石垣つみもそうに違いない。何度もやっていれば熟練もしてこよう。石垣つみを常態化して日々の作業に組み込めれば、うちの畑は見違えるほどよくなるだろう。明日が楽しみである。
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竹やぶは、レベルが25になりました。
http://takebass.exblog.jp/3489910/
2006-05-23T17:18:00+09:00
2006-05-24T20:56:34+09:00
2006-05-23T17:18:17+09:00
takeyabubass
仕事
接ぎ木というのは、木の一部を他の木に移植することである。元気な木を途中ですっぱり切って、切り口に別の木を挿し込むのだ。このとき地面から生えているほうの木を「台木(だいき)」、挿し込むほうの木を「穂木(ほぎ)」という。接木が成功すれば、穂木ばかりが成長して葉を茂らせ、実を結ぶ。つまり接ぎ木部分から上だけが、別の木になるのだ。この技術を使えば、一つの木にいろんな種類の果実をつけさせることもできるわけだ。
しかし成功させるためにはコツがいって、適当にやってもうまくいかない。祖父は接ぎ木が苦手である。農協職員も激務のさ中なので、たった一人の若者のために動員は出来ない。つまり付きっ切りで指導してくれる人はいなかった。仕方がないので、本を見ながらやった。分からんことは、携帯で他の農家に聞いた。そうして、信じられない遅さで、ようやく三本の木で接ぎ木を完了させた。「温州みかん」に、「せとか」を接いだのである。
1ヶ月くらいちょくちょく観察していたら、穂木に巻きつけたテープを突き破って、きみどり色の新芽が頭をもたげてきた。全ての穂木から新芽が出た木もあるし、7割くらいしか出ていないのもあるが、今後もまだ出てくるだろう。
「一人じゃ出来ないなあ」と、去年は断念したことだった。でもいつかはやらねばと、気にかかっていた。日ごろ思いつること、果たしはべりぬ。なんだか、初めて空を飛べたらこんな気持ちだろうと思われる。
竹やぶは レベルが あがった
竹やぶは のうぎょうが 22あがった
竹やぶは かていきょうしが 28あがった
竹やぶは おんがくが 3さがった
竹やぶは ぶんしょうが 2あがった
竹やぶは つぎきをおぼえた
竹やぶは (以下略)
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僕は親切
http://takebass.exblog.jp/3489782/
2006-05-23T16:47:00+09:00
2006-05-23T17:25:41+09:00
2006-05-23T16:47:42+09:00
takeyabubass
思想
ある公共機関の職員が、小学生にエイズの説明をするときに、
『エボラ出血熱などは、感染したら患者はすぐに死んでしまうので、人にうつる可能性は低い。それにひきかえエイズは、感染したからといってすぐには死なないので、人から人に伝播して広がりやすい。』
といったのだそうだ。
ある生徒がこれを聞いて、授業の感想文に、「エイズ患者は早く死ねばいいという表現はどうかと思う」と書いた。それを問題視した上部組織が、説明をした職員を処分した。
記事には、それへの反駁が書かれていた。
「職員は、『エイズ患者は早く死ねばいい』などとは一言も言っていない。むしろ彼の客観的な表現を、勝手に解釈して誤解した生徒の言語能力のまずさを、教育者は問題視すべきだ」という内容であった。
その通りである。
言葉を客観的に受け取れない人に、困らされることはしばしばある。
たとえば、「あの子はかわいいね」というと、「どうせ私はブスですよ」という人。「ああしんどい」というと、「私がしっかりしていないからダメなんだ」と受け取る人。こっちはそんなつもりで言っていない。しんどいというのは、単なる独り言である。しんどいのは嫌だとも言っていないし、君は無能だとも言っていない。そういうべきときははっきり言う。
他人の言葉で必要以上に傷つく人というのは、要は自己中心的なのである。相手も、自分と同じような思考回路を持っているのだと勝手に解釈している。
そうではない。言葉の定義というのは、一人一人全く違う。僕が「懐かしい」と呼んでいる感情を、「寂しい」と呼んでいる人がいても全然おかしくない。だけどそれでは不便なので、一応みんなが共通して使えるようにある程度取り決めをしている。辞書に載っている意味がそれである。(所詮は辞書も言葉の集まりなので、厳密に言うと無意味だが。)一応、他人と会話をするときは、「自分の言葉」ではなく「辞書的な言葉」を使うのが礼儀である。そうしないと言葉によるコミュニケーションは不可能になる。
僕は少し前まで、務めて「辞書的な言葉」を使うよう努力してきた。しかしそれによって傷つく「ジコチュー」がわりと多いので、変化を迫られた。今では、「相手の言葉」を使うよう努力している。なんて親切な僕。
本来、「自分の言葉」と「相手の言葉」の間に「辞書的な言葉」があって、会話の際は公平性を期するため、みんなが「辞書的な言葉」を使うことが望ましい。しかしそれが出来ない人が多いので、僕は相手に応じて、「相手の言葉」ばかりを使わねばならない。「自分の言葉」どころか、「辞書的な言葉」までをも捨てて。
中途半端だがこれで終わり!
なにごとも、中途半端が一番である。というか完結するような話題などない。思索の続きはそのまま放置しておくべきものである。気が向いたらまた続きを考える。
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久しぶり。
http://takebass.exblog.jp/3443755/
2006-05-16T17:59:00+09:00
2006-05-19T11:24:53+09:00
2006-05-16T17:59:52+09:00
takeyabubass
未分類
事後処理の仕事が山積みだが、市井の一民草が結婚したところで季節は待ってはくれぬ。
みかんの花が散り始めている。計7箇所の畑で、灰色カビ病・黒点病予防の消毒をせねばならぬ。これを怠ると、全ての柑橘が大ダメージを受ける。
中間テストが近い。要するにこの点数が、家庭教師としての僕の評価である。僕の目指す人格形成うんぬんは、まず勉学の面で相手の要求に答えた上で、大いに語るべき理想である。まずは中間テストで、両親を驚かさねばならない。
結婚をした。
これまでは、仕事だけでよかった。しかし、これからはいろいろせねばならない。家庭の経営。周囲との付き合い。つまり、今後仕事の面でこれまでどおりの成果を上げようと思えば、さらに効率的に自分を稼動させねばならないということだ。
大いなる修行の旅に、僕は出たのである。]]>
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